昨年10月のオリンパスのウッドフォード社長解任や、今年2月のTSIホールディングスの中島社長解任のように、取締役会において代表取締役を突然解任してしまうことがよくあります。
 
たいていの場合、反現代表取締役派(以下「反社長派」といいます。)が事前に多数派工作を根回ししておき、取締役会の冒頭で、「代表取締役解任の動議を提出します!」などと動議を出して(なお、社長自身は、特別利害関係人のため、自分を解任するか否かの決議に加われません。)あまり審議もしないで速やかに決をとって解任してしまい、続いて直ぐに新しい代表取締役を選任するという手続がとられます。
 
この場合、ちょっとうっかりしがちなのが、取締役会の議事を事前に各取締役に通知することを定める定款や取締役会規程との関係です。すなわち、多くの会社では、定款や取締役会規程の中で、取締役会開催の37日前までに会議の目的事項を記載した招集通知を各取締役に送付しなければならないとの規定が存在するため、その通知の中に記載されていない代表取締役解任を議題とすることができるかが問題になるのです。
 
この点について、江頭憲治郎「株式会社法 第4版」(有斐閣、201112月)391頁の注10には、
 「定款・取締役会規程等に取締役会の招集通知は会議の目的を記載した書面で行う旨定められていた場合でも、招集通知に記載のない事項を審議・決議することは、本文記載の取締役会の制度趣旨に鑑み、当然に違法とはならない(名古屋高判平成12.1.19金判108718頁〔代表取締役の解職〕〔中略〕)」
と記載されており、我々の業界では、ほぼ決着のついた問題であると理解されています。つまり、単に定款や取締役会規程に、取締役会を開催するには、事前に議題を記載した招集通知を送付することが必要と規定されていても、招集通知に議題として記載されていなかった代表取締役解任の動議が提出されれば、取締役会はこれを審議することができるのです。
 
しかし、定款又は取締役会規程に、単に事前に議題を通知することが必要であると書いてあるにとどまらず、招集通知に記載された議題しか審理できない(つまり積極的に禁止する)と規定されていた場合はどうなるでしょうか?

実は、このように踏み込んだ規定があるときに、代表取締役解任の動議が出せるか否かを論じている文献はあまりないようなのですが(私が単に知らないだけかもしれません。)、おそらく、このような場合にまで取締役会が審議できるという結論にはならないと考えられます。
なぜなら、会社法の強行法規性には議論があるところですが(前掲・江頭『会社法』5354頁参照。)、取締役会の招集手続を定める会社法第366条~第368条を見ても、定款で、事前に通知された議題しか取締役会で審議してはならない、と定めることを禁止しているとまでは読むこと(解釈すること)はできないと考えられるし、後述のように、このような定款の定めにも、一定の合理性が認められると考えることができるからです。
 
前述の江頭「会社法」391頁の注10が引用する名古屋高判平成12.1.19金判108718頁は、取締役会規程に、「取締役会の招集通知をする場合には、開催日時、場所及び会議の目的事項を記載した書面をもってすべきことを要求している」ケースですが、判旨は、代表取締役の解任決議を有効と判断するにあたり、〔上記のような取締役会規定の条項のみでは〕「取締役会において右招集通知に記載されていない事項について審議又は決議することを禁じているものと解することは出来ない。」と述べているので、定款又は取締役会規程で、あえて招集通知に記載されていない事項について審議及び決議することを禁じる条項を設けた場合については、この判決の結論は適用されないと考えることができると思います。
 
最近、私個人としては、この問題がちょっと気になり出しています。というのは、このところ、日本の上場会社に社外取締役の設置を義務付けようという議論がされていますが、社外取締役というと、少なくとも理屈上は、会社内の社長派とか反社長派のいずれにも属さない人が多いのではないかと思うので、取締役会に行ったら、いきなり一方の派閥から代表取締役解任の動議が出て、訳がわからないうちに決議されてしまったということになると、株主に対する責任を果たすことができず、困るのではないかと思うからです。
 
さらに言うと、米国や英国のように、上場企業のボードの過半数を社外の者が占めるような制度を構築する場合、取締役会では、あまり社内の細かいマネジメントのことは議題としてふさわしくなくなり、株主の代表者として、会社の経営が株主価値を増大させるものであるかという大きな方向性のチェックというものが主なものになると考えられますし(したがって、一刻を争うほど「機動的」である必要は小さくなります。)、また、普段、社内にいない人たちの会議ということになるので、事前準備というものが今よりも重要なものになると考えられるからです。
 
したがって、結論としては、定款等で、事前に通知されていない議題を決議することはできないと規定したら、それを認めてあげる必要があると思うのですが、いかがでしょうか。

3月末から4月頭にかけて何かと忙しく、すっかりブログの更新が滞ってしまいました。ブログのup体制を整える必要がありますが、新しい記事を仕込むには時間がかかりますので、今回は、3月号の弊事務所メルマガに掲載した記事をちょっと修正してアップさせていただきます。

私は、企業法務(General corporate)と不動産(Real property)を専門にしていますが、この両者の範囲がかなり広いので、顧問先の会社等から、それこそ種々雑多な相談が持ち込まれ、リサーチに難儀することがあります。ちょっと前のことになりますが、こんなケースの相談を受けました(かなりデフォルメしています。)。

(相談内容)
ある会社の従業員の給料について、裁判所から差押通知書が送られてきて(消費者金融の会社が、強制執行により差押えをしてきたとのことです。)、その後に、さらに税務署から差押通知書が送られてきました(この従業員は税金を払っていなかったので、税務署が滞納処分に基づき差押えをしてきたのです。)。
このような場合、どのように処理すればいいのでしょうか?


ある程度実務の経験を積んだ弁護士であれば、この種の問題はよくありますので、比較的「答え」を見つけ出すことは簡単です。強制執行による差押えと滞納処分による差押えが競合しているので、こういうときには、「滞納処分と強制執行等との手続の調整に関する法律」(以下「滞調法」といいます。)という法律を調べてみようということになり、その法律を調べると、第36条の61項に、はじめに強制執行による差押えがあって、その後に滞納処分による差押えがあったときには、第三債務者(本件の場合は会社)は、債権の金額を供託所に供託しなさいと書いてあります。したがって、弁護士の回答としては、「供託すればよいです。」などと答えることになるでしょう。

しかし、このケースの問題は、「差押禁止財産」に関連していました。
強制執行による差押え(裁判所による差押え)は、民事執行法という法律に基づいて行われ、滞納処分による差押え(税務署等による差押え)は、国税徴収法という法律に基づいて行われるものなのですが、両法は、差押えを受ける人の最低限の生活にも配慮して、差押えをすることができない財産(一般にこれを「差押禁止財産」と言います。)についても定めています。本件の差押対象財産である給料(債権)についても、当然のことながら給料(債権)は、最も生活保障に直結するものですので、差押禁止の範囲を定めています。

しかし、あまり知られていないのですが、民事執行法と国税徴収法とでは、給料(債権)について、差押禁止の範囲が異なっているのです(理由はよくわかりません)。

どういうふうに異なっているのかと言うと、民事執行法上は、給料の4分の3は差押えることが禁止されますが(ただし「4分の3」が月額33万円を超えるときは、33万円を超える部分は差押えることができます。民事執行法第152条第1項、同法施行令第2条)、逆に言えば、どんなに給料の額が少なくても、4分の1については差押えることができるのです。
それに対して、国税徴収法の方は、①月額10万円及び②生計を一つにする配偶者や子供等の親族がいる場合には一人当たり45000円、さらに③給料から所得税等の法定控除額を控除した額の100分の20の合計を差押禁止財産にしているため(国税徴収法第76条第1項、同法施行令第34条)、給料の額が少ないと全額差押えができないということも生じるのです。

本件がまさにそのようなケースでした。強制執行による差押え(消費者金融の差押え)の方は、たしか23万円は差押えできる部分がありましたが、滞納処分による差押え(税務署による差押え)の方については、差押え可能額はなかったのです。
しかも、問題はさらに根深いのです。
このケースの場合、強制執行による差押えが過去半年ぐらい続き(実務上、「請求債権が完済されるまで」という表示をして、1回の差押えでその後の給料をずっと差押えすることが認められています。)、今回でようやく完済できるところでした。しかし、今回、滞納処分による差押えもあったということで、これを滞調法第36条の61項に基づき供託しなければならないとすると、供託したお金については、裁判所によって配当表が作られ、差押債権者に対し配当が実施されるわけですが(滞調法第36条の101項)、この場合、租税債権優先の原則(税金は、一般の債権よりも優先して弁済しなければならないという原則のことです。国税徴収法第8条)から、常に税務署の方が優先しますので、消費者金融の債権は完済にならず、いつまでたっても差押状態が続くということです。単独で差押えれば、差押可能財産がないとして不奏功だったはずなのに、たまたま消費者金融の差押えが先行していたということで、税務署としては、「棚から牡丹餅」的な利益を受けることになります。会社としては、今回で差押えは終わりだと思っていたのに、税務署の差押えがあったばかりに(しかも、その税務署の差押えは単独の差押えであったら、差押可能部分がないので無視できたのに)、今後23年間税金が完済されるまで毎月供託をしなければならないというはめに陥ります。

そこで、私がリサーチすることになりました。テーマは、「先行する強制執行による給料債権の差押えには差押可能部分があるが、後行する滞納処分による差押えには差押可能部分がない場合、滞調法第36条の61項の適用があるか?」ということになります。

しかし、弊事務所の少ない蔵書の中には、この問題の手掛かりとなる文献はありませんでした。そこで、弁護士会の図書館に行き、滞調法や供託法関係の文献をあたってみたのですが、やはりこのテーマを扱っている文献は見当たりません。さらに、最近ではネットから有益な手がかりを取得できることがありますので、ネット上も調べてみましたが、残念ながら、この問題に直接回答するような情報は得られませんでした。そこで、関係する行政機関に電話で問い合わせをしてみたのですが、行政機関により、結論が違っていたりして、余計にわからなくなってしまいました。

私としては、「ちょっと困ったぞ」という感じでしたが、事務所で考えていても始まらないので、思い切って、最終的に九段下にある東京法務局の窓口相談に行き、聞いてみたところ、既に廃刊となっている「登記インターネット」という雑誌の20091月号(109号)102頁~106頁にこの問題が論じられていることを教えていただきました。このような資料を知っているのは、まさに、東京法務局供託課だなと感心した次第です。そこには、TMというイニシャルの筆者がこの問題を論じており、差押可能額の重なり合いがなければ、滞調法第36条の61項の適用はないとの解釈論が展開され、さらに、その結論が、昭和61年度全国供託課長会合における協議問題決議や昭和55年名古屋高裁管内民事事件担当裁判官等協議会議結果とも一致していることが示唆されていました。
そこで、私は、単に「私がそう思うから、こうだ」などとアドバイスするのではなく、文献を示しながら、自信を持って「滞調法第36条の61項の適用がない」とクライアントにアドバイスすることができました。

なかなかお目にかからないような問題でしたので、紹介させていただく次第です。ご参考になれば幸いです。


鯨とり 対訳シナリオで学ぶ韓国語

先日、このブログで、弊事務所の顧問先である西ヶ原字幕社が発売したDVD『鯨とり』をご案内させていただきましたが、その続編というべきか、今般、西ヶ原字幕社が、『鯨とり 対訳とシナリオで学ぶ韓国語』という本を発売いたしました。

この本では、映画『鯨とり』の脚本と西ヶ原字幕社の日本語訳と、さらにそれに対する同社の林原圭吾社長の解説が見開き1頁で見通すことができます。韓国語を学ぼうとしている方にはとても嬉しい一冊ではないかと思いますので、このブログでもご案内させていただきます。

ちなみに、私は韓国語を話せませんし、勉強をしたこともないのですが、この本には、12あるChapterごとに、80年代の韓国の時代背景、映画『鯨とり』やその出演者等々について、林原社長のコラムがついており、それがけっこう秀逸です。

『鯨とり』という映画には、80年代の軍事政権下における韓国の「民主化運動のメタファー」という解釈があるという点(9頁)には、解釈好きの私にとっては、「この映画を見る目が変わった」という感じがしました。ちょっとネタバレになってしまうかもしれませんが、この映画には、「口のきけない少女は、言論の自由のメタファーで、政治的に目覚めていない学生と厭世に走るインテリ層が力を合わせて、これを取り戻す」というメッセージがあるものと受け止められたとのことです(まだ見ていない方は、見てのお楽しみですね。)。

また、『鯨とり』の言葉の意味についてのコラム(96頁)も、「そうなのか!」という感じで、思わず笑ってしまいました。韓国語の「捕鯨」と「包茎」とが同じハングルだそうで、韓国の方は、「鯨をとる」と聞くと、「包茎手術をする」という意味を連想するとのことです。初めの方で、主人公の学生ミヌと、ホームレスのビンテが、「鯨をとる」ということで、何故か売春宿に行くのですが、その謎が解けました。

韓国語の勉強だけでなく、『鯨とり』という映画を理解するうえでも、とても有益な本であると思いました。韓国に興味のある方、是非ぜひお勧めいたします。



以上

1. はじめに
新聞報道等からしか事件を知らない第三者の無責任な話しという前提ですが、大王製紙事件については、よくわからない(理解できない)点が多いので、今回はその点に触れてみたいと思います。

2. 事件の概要
大王製紙事件については、皆さん、よくご存知かと存じます。簡単にまとめると次のようになるかと思います。


① 東証第1部上場の大王製紙の代表取締役会長(以下「元会長」といいます。)は、平成22年5月から平成23年9月まで、合計23回にわたり、同社の連結子会社7社の取締役等に指示して、適正な社内手続を経ることなく、主に、元会長個人のマカオやシンガポールでのバカラ賭博で負けたお金を払うため、貸付金として、合計106億8000円を支出させた。その現在の残高は59億3000万円であり、本件が発覚後元会長から差し入れられた株式14億5000万円を除く44億7400万円については返済の目途がたっていない。

② 元会長は、会社法上の特別背任罪として起訴され、昨日(平成24年3月1日)、東京地裁で第1回公判期日が開催され、元会長は、冒頭で、公訴事実について、「間違いありません。」と罪を認めた(なお、特別背任罪における被害金額は、約55億3000万円とのこと。)。

③ 大王製紙は、元会長の祖父が創業した会社であり、創業者である祖父、中興の祖と言われている父親、その直系の元会長の3代で発展させた会社である(以下、元会長の一族を「創業家」という。)。
創業家は、ファミリー企業を介して大王製紙の株式を保有する大株主であり(ただし、詳しくは不明ですが、有価証券報告書からすると10%程度のシェアではないでしょうか?)。また、大王製紙の国内連結子会社35社のうち、大王製紙が50%以上の株式を持っているのは3社しかなく、残りの32社については、創業家が過半数のシェアを握っていると推測されている。また、連結子会社の代表者等は、元顧問、元会長ら創業家の人間が占めている。このように、創業家は、ファミリー企業を介して大王製紙の大株主であるとともに、連結子会社の支配を維持することにより、大王製紙に対し影響力を維持していた。

④ この事件が起きた当時、元会長の父親は大王製紙の顧問をしており、元会長の弟は、連結子会社を統括する大王製紙の関連事業部の担当取締役であったが、事前に元会長の借入行為を知ったにもかかわらず、元会長に借り入れを止めさせられなかったことから、顧問及び関連事業部取締役は、それぞれ職務を解職された。

⑤ 元会長が事件発覚後、代表取締役を辞任したこと等に伴い、平成23年10月1日以降、大王製紙の(国外も含め)連結子会社37社のうち、28社が連結の範囲から外れ、9社に減ってしまい、大王製紙の決算に悪影響をおよぼすことになった。
その後、大王製紙は、連結子会社から、(連結子会社同士が持ち合っていた)他の連結子会社の株式を購入して、平成24年1月から3月期については、19社を連結子会社として復活させた(しかし、元顧問は、その際の連結子会社側で取締役会の決議に瑕疵があったとして、現在、元顧問は、株式譲渡の無効を主張している。)


⑥ 大王製紙の現経営陣は、平成23年10月27日に公表された、「大王製紙株式会社元会長への貸付金問題に関する特別調査委員会」の報告書における提言を参考にして、創業家の支配力を弱めるため、創業家からの連結子会社株式の買い取りを表明したが、元顧問はこれに対して反発し、現在までのところ、買取交渉は進んでいないようである。また、元顧問側は、大王製紙のグループ会社の臨時株主総会を開催し、大王製紙側から派遣されている役員を解任し、自分に近い役員を選任する対抗策に出ている。

続きを読む

(弊事務所の先月号のメルマガに書いた記事ですが、このブログにもアップさせていただきます。)

少々マニアックな話になりますが、私が学生だった頃(今から20年以上も前のことです。)、民事訴訟法の学説の中に、『手続保障第三の波』というものがありました。学説というよりも、民事訴訟法の目的や機能について、「第三の波」と言われていた考え方をとる学者グループの名称という側面もあったので、学派というのが正しいかもしれません。


どのような考え方なのかというと、それまで裁判所中心に組み立てられていた手続理論を、当事者中心にして、民事手続きを「当事者相互の論争・対話という相互作用によって紛争を解決するルール」と捉え直します。そして、手続内における当事者の役割分担を意識した行為規範をきめ細かく探求していこうとする立場です。このように書くと、ますます良くわからなくなると思いますが、それまでの「上から目線」的な議論を、利用者・市民の側の目線によって再構築するものと考えればわかりやすいと思います。「市民のための民事訴訟」ではなく、「市民による民事訴訟」を目指したものです。具体的な結論においては、従来の考え方とそれ程違いが生じませんが、生身の人間としての当事者に着目しようという発想や、当事者間の論争・対話、和解による解決、裁判外の手続(ADR)を重視しようという発想には、とても広がりがありました。


当時、それまで有力だった東京大学の新堂幸司教授らの議論に真っ向から挑んだ(もしくは発展させた)のが、この『第三の波』学派であり、その中心人物が(当時)立教大学教授であった井上治典教授でした。井上教授がこの立場に立つことを宣言した『手続保障の第三の波』(法学教室28号・29号)という論文を読んだときには、私はとても感動して、血沸き肉躍るような状態になったことを覚えています。同論文には、当事者の主体性(自由)と自己責任を重視するというような、私の好きなフレーズがあったことと(要するに、「自由」を目指すようなイメージがあったということだと思います。)、これまでの権威に挑戦し、新たな解釈論を打ち立てるというような元気さがあったことに興奮したのだと思います。


それから、民事訴訟法をとても面白くさせてくれたのが、井上教授と東京大学の高橋宏志教授の共著『エキサイティング民事訴訟法』でした。この本は、テーマごとにゲストを招いて、井上教授と高橋教授と対談するというものでしたが、あたかもケンカが始まるような勢いで議論されていて、本当にエキサイティングでした。最近、もう一度読みたくなって、アマゾンで検索してみましたが、中古マーケットで2万5000円もしていました。なんであんな良い本を処分してしまったのだろうと、本当に「後悔先に立たず」状態であります。


私は、大学が違ったので、井上教授から直接教わったことはありません。しかし、司法試験の予備校の答案練習会の出題者講師として、2回ほど教えを受けたことがあります。この井上教授は、とにかく格好が良かった。長身ですらっと痩せていて、手足が長く、顔はちょっと岩城晃一に似ていました。言葉には、九州なまりがあり、目つきが鋭いので、ちょっと不良っぽい。不覚ながら、一遍にファンになってしまいました。


たしか2度目の答案練習会の時だったと思います。答案練習会が終わった後、あまりそのときの出題とは関係がなかったのですが、講師控室まで押しかけて、井上教授に対し、「第三の波が好きでいろいろ読んでいますが、判決効を理由中の判断まで及ぼす点は、主文中の判断のみに既判力を認める民訴法の規定とどのように整合性をとるのですか? 答案を書くときに書きづらくて。」などと生意気な質問をしてみました。すると、井上教授は、私の目をギロッと見据えられて、「君の質問はもっともだから、答案には第三の波で書かない方がいい。だけど、君が実務に出たときには、第三の波の考え方を忘れないでほしい。」と答えてくださったのです。私は、ちょっと感動して、平身低頭、「わかりました。」と言って、顔を上気させながら部屋を出てきたことを覚えています。


残念ながら、井上教授は、2005年10月にお亡くなりになられてしまいました。(私が言うのは大変僭越なのですが)とても惜しい人を亡くしました。


現在、私は実務に出ているわけですが、頭の中には、やはり学生時代に好きだった「第三の波」があります。


話は少し変わって、先日、同僚の萩原弁護士と労働審判事件を経験しました。この労働審判事件では、①原則当事者を同行する、②当事者対席で当事者にも事情を聞きながら審理する、③事前に書面は提出するものの、裁判官や労働審判官にその場で口頭で説明する、④原則として1回で解決できるようにする、というもので、「第三の波」の考え方に親和的であり、とても感銘を受けました。我々が100%勝ったわけではありませんが、事案に即した妥当な解決をしていただき、クライアントの満足も高かったと思います。全ての民事訴訟を労働審判型の審理方法にするのは難しいかもしれませんが、通常の民事訴訟にも取り入れられるところは多いように思いました。


このブログを読んでいただいている方には、同業者の方も多いと思いますが、皆さん、「第三の波」方式でいきませんか?きっと日本の民事司法は良くなると思います。

会社法の正義

私が司法試験を受験していた頃、論文試験のために、ひたすら論証パターンを覚えた。これは、ある条文についてAという解釈とBという解釈がある場合、まず、その条文の趣旨を説明して、「この条文の趣旨からすると、Aという解釈をとると趣旨が没却されるからB説が適当である」と論証するものである。この論証パターンの変形として、「Aという解釈をとると、そこに登場する甲さんにとってあまりにも酷だから、Bという解釈が適当である」などというものもあった。
しかし、よく考えてみると、「没却される」とか「酷である」などと言われても、本当に趣旨が「没却される」のか、本当に甲さんにとって「酷である」のかはよくわからないし、そもそも、条文の趣旨自体に対立があり、果たしてどちらの趣旨が正しいのかすらわからないときがある。何かカチッとした判断基準がないのだ。数字による定量化が図られているわけでもないし、多くの場合、趣旨が没却されていることや、甲さんに酷であることについて実証的な研究が行われているわけでもない。「何でそうしなければいけないの?」と問われると、「みんなが選挙で決めた代表者で構成される国会で決まったルールだから」とか、「判例でそう言っているから」とか、「コンメンタールにそう書いてあるから」などと形式論的な説明をする他なく、その法律や解釈の正しさの実質的論拠を説明できていないように思うのだ。
というわけで、何か底の浅い学問だなあという印象を受けたことを覚えている。弁護士になってからも、そういう印象は変わっていない。

ところが、この本はスゴイ。法の善し悪しを判断する基準として、ある法が存在する社会とそうでない社会を比較して、その優劣を決めるという「規則帰結主義」の立場をとり、その規則帰結主義の判断において、「法と経済学(Law & Economics)」の成果を活用するのだ。これによって、(私にとっては)何かあやふやなイメージのあった会社法の解釈に、一貫した柱、明確な根拠が与えられたように感じた。
「法と経済学」などというと、難しい数式が並んでいるのでは?と思うかもしれないが、嬉しいことに、あまり数式を使わないで易しく説明してくれている。「替え歌で覚える会社法」というユーモアたっぷりのコラムもあり、「笑い」もあるのだ。
こんなに内容の濃い本なのに、たった2600円。法律の専門書としては破格だろう。会社法の深い世界を知りたい人には、是非お勧めしたい本である。

続きを読む

武器としての決断思考 (星海社新書)

東京大学卒業後マッキンゼーで働き、今は、京都大学の一般教養課程で、『起業論』などの講義を持っている瀧本哲史さんの著書です。瀧本さんは、日本経済が衰退期を迎えた現在、かつてのような高度成長時代の大会社に入っていれば安心というような時代は終わり、若者は将来について予測不可能な状況に置かれていると考えています。そのような状況の中で、いわばゲリラである若者たちに日本社会というフィールドで戦えるように、軍事顧問として「武器としての教養」を配りたいと言います。そして、今重要なのが、予測不可能な状況の中で、変化に対応できるように意思決定ができる思考方法であり、それに役立つのがディベートの技術なのだということで、ディベートの解説をしています。

裁判も、原告と被告、検察と弁護人が、法律の適用をめぐる議論(ディベート)をして、第三者である裁判官を説得する作業とみることができ、瀧本さんのディベートの説明は、とても参考になりました。日頃なんとなくわかってはいるのですが、体系的に説明されると、目からウロコなところがあります。この本は、若者のみならず弁護士にも武器を与えますね。よかったら、ご一読をお勧めします。



続きを読む



弊事務所の顧問先の1社である有限会社西ヶ原字幕社が、『鯨とり -コレサニャン-』という韓国映画のDVDを発売しました。この『鯨とり』という映画は、1984年に韓国で制作され、同年の国内最高観客動員数を記録し、韓国映画史上に残る名作と評価されているものです。日本でも88年に劇場公開され、VHSビデオも販売されましたが、権利元の消滅に伴いDVD化がなされずにいたものを、新たに西ヶ原字幕社でビデオグラム権を取得し、この度の販売にこぎつけました。本年120日から発売が開始されており、弊事務所でも早速購入して、拝見させていただきました。

ストーリーは、さえない大学生ビョンテが女性にふられ、家出して、ひょんなことからインテリのホームレス、ミヌと出会い、これまたひょんなことから売春宿で働く失語症のチャンジャと知り合って、ビョンテとミヌとで売春宿から脱走させて、ソウルからチャンジャの故郷の牛島まで送り届けるという青春ロードムービーです。現在の韓流ドラマのような美男美女は出てきませんが、ミヌ役のアン・ソンギ(韓国でとても有名な俳優です。)は、笑顔が素敵な渋いハンサムガイであり、また、ソウルの売春宿などと聞くととても暗そうですが、どことなく発展途上の韓国の明るさや希望が感じられたり、ソウルから牛島までの道のりでは、寒そうなんだけど美しい韓国の冬の田舎の風景が見られたり、売春宿の追手の人たちにも、最後には、人情味が感じられたりして、とても面白かったです。

BGM
は、ビョンテ役のキム・スチョル氏(もともとミュージシャンです。)が担当していますが、今聴いても新しい。西ヶ原字幕社のキム・スチョル氏に対する独占インタビューが特典映像として付いており、韓国ロックのファンにとってはとても貴重な映像とのことです。

西ヶ原字幕社は、韓国語の映像翻訳に特化した翻訳会社であり、2005年の設立以来、数々の作品を手掛け、最近では、イ・ビョンホン主演の『アイリス』も、西ヶ原字幕社が制作したものです。今回の『鯨とり』も、字幕・吹き替え翻訳は西ヶ原字幕社が手掛けており、今回のDVDの販売には、同社の韓国語理解の確かさや、映像翻訳に対する情熱をアピールする狙いもあるとのこと。

DVD
『鯨とり』は、同社の特設サイト(http://jimakusha.co.jp/kujiratori/)又はアマゾン(http://www.amazon.co.jp/)にて購入できますので、ご興味のある方には、ぜひぜひ購入をお勧めします。


株式会社法 第4版

私がこの本の書評を書くのは、おこがましいというか畏れ多いのですが、200912月の第3版の発行後、2年を経て、昨年12月に第4版が発行されました。 

改訂箇所としては、この間の会社法改正を組み込むとともに、金商法、産活法、民事訴訟法、非訟事件手続法、法人税法といった周辺法令の改正を反映し、さらに、金融商品取引所の上場規則による独立役員確保の義務づけ等、ライツ・イシューに関する制度の整備といった業界の自主規制ルール及び企業買収等の分野を中心に現れた多数の新判例を盛り込んだというものがあります。

この本については、いろいろな意見があるようですが、私が思うに、本の帯にもあるのですが、「企業法務の実務に携わっている者にとっては必携の本」であるということです。実務では、この本だけでは足りませんが、細かい丁寧な(注)で問題となる論点やその論点についての考え方が端的に示されており、さらに嬉しいのは、参照すべき判例のみならず、文献までもが提示されていることです。私は、会社法関係で何かわからないことがあったときは、まず江頭『株式会社法』を参照し、そこで問題となっている論点についてどう記載されているかを確認したうえで、判例やコンメンタール、法律専門誌に掲載された論文にあたることにしています。

アマゾンのカスタマーレビューを見ると、「索引が使いにくい」とか「せめて辞書は辞書らしく」とか、あまり本質的でないことを批判されていますが、仕事として企業法務をやる人にとっては、索引を使わないでも、「あの辺にこんなことが書かれていたな。」というくらいには読み込んでほしい本です。

私は、企業の法務部の人から、「会社法の本としてはどんな本を読んだらいいでしょうか?」と聞かれると、必ずこの本を勧めます。

現時点における会社法の基本書の最高傑作だと思います。

先日、知人から「借家で賃借人が自殺した場合、賃借人の遺族(相続人)は、賃貸人から損害賠償請求を受けることがあるのか?」との質問を受けました。  


一般に、マンション等を販売したり、賃貸したりしようとしている不動産業者(及び仲介業者)は、そのマンションで自殺があったような場合には、買主又は賃借人に対し、当該マンションで自殺があったことを告知し、説明しなければならないと解されています(参考判例:東京地判平20.4.28 判タ1275-329)。これは、物件の中で自殺があると、事故物件として物件の価格や賃料は下がることになりますので、これを故意に隠しながら販売したり、賃貸したりすると、購入者や賃借人を騙しているようなことになり、宅地建物取引の公正が確保されないと考えられるからでしょう(宅建業法第47条参照)。  


このような知識はありましたが、私としては、今回のご質問のような、「借家で自殺が発生した場合に遺族が家主から損害賠償を請求されるのか?」というような話はあまり聞いたことがありませんでした。しかし、確かに、家主の立場からすれば、貸室の中で自殺されると、その後、貸室を新たな賃貸人に貸そうとするときに賃料を減額せざるを得ない等の悪影響がでるわけですから、遺族に損害賠償を請求したくなるのかもしれません。そこで調べてみたところ、やっぱりこのような事例についての判例はあるのですね(ただし、いずれもネットによる有料の判例検索のサービスで、刊行物としては無いようです。)。

1.東京地方裁判所平成131129日判決

事案は、借上げ社宅としてある会社に賃貸していたところ、住んでいた従業員が自殺してしまったので、賃貸人(原告)が、賃借人である会社(被告)に対し、10年間にわたって貸室を通常よりも安い賃料でしか貸せなくなったとして、10年間の賃料差額相当額の支払いを求めたものです。
東京地裁は、次のように述べて、賃貸人の請求を認めました。
 
 

「貸室において入居者の自殺という事故があると、少なくともその直後においては、通常人からみて心理的に嫌悪すべき事由(いわゆる心理的瑕疵)があるものとして、当該貸室を他に賃貸しようとしても、通常の賃料額で賃貸することは難しく、通常の賃料額よりもかなり減額した賃料額で賃貸せざるを得ないのが実状であると推察される。」

「被告は、原告に対し、本件賃貸借契約上の債務として、善良なる管理者の注意をもって本件貸室を使用し保存すべき債務(賃貸借契約書第5条、民法400条)を負っていたというべきであり、その債務には、本件貸室につき通常人が心理的に嫌悪すべき事由を発生させないようにする義務が含まれるものと解するのが相当である。」

「しかるに、被告は、上記債務について、履行補助者たるD(社宅に住んでいた従業員)が本件貸室において通常人が心理的に嫌悪すべき自殺をしたことにより、不履行があったものと認められ、かつ、その債務不履行について被告の責めに帰すことができない事由があるものとは認められない。」

「以上によれば、原告は、被告の債務不履行によって、〔中略〕損害を受けたということができる。」  


ただし、損害については、「本件のような貸室についての心理的瑕疵は、年月の経過とともに稀釈されることが明らかであり、本件貸室が大都市である仙台市内に所在する単身者用のアパートの一室であることをも斟酌すると、本件貸室について、本件事故があったことは、2年程度を経過すると、瑕疵と評することはできなくなる(したがってまた、原告において、他に賃貸するに当たり、本件事故があったことを告げる必要はなくなる)ものとみるのが相当である。」として、2年間分の賃料差額相当額しか、損害としては認めませんでした。


2.東京地方裁判所平成19810日判決

この案件は、貸室内で賃借人が死亡したため、家主が、賃借人の相続人と、賃借人の連帯保証人に対し、6年間分の予想賃料差額を損害として、請求したものです。

これについても、東京地裁は、  


「賃貸借契約における賃借人は、賃貸目的物の引渡しを受けてからこれを返還するまでの間、賃貸目的物を善良な管理者と同様の注意義務をもって使用収益する義務がある(民法400条)。そして、賃借人の善管注意義務の対象には、賃貸目的物を物理的に損傷しないようにすることが含まれることはもちろんのこと、賃借人が賃貸目的物内において自殺をすれば、これにより心理的な嫌悪感が生じ、一定期間、賃貸に供することができなくなり、賃貸できたとしても相当賃料での賃貸ができなくなることは、常識的に考えて明らかであり、かつ、賃借人に賃貸目的物内で自殺しないように求めることが加重な負担を強いるものとも考えられないから、賃貸目的物内で自殺しないようにすることも賃借人の善管注意義務の対象に含まれるというべきである。」


として、故賃借人の債務不履行を認めています。そのうえで、損害については


「自殺があった建物(部屋)を賃借して居住することは、一般的に、心理的に嫌悪感を感じる事柄であると認められるから、賃貸人が、そのような物件を賃貸しようとするときは、原則として、賃借希望者に対して、重要事項の説明として、当該物件において自殺事故があった旨を告知すべき義務があることは否定できない。
しかし、自殺事故による嫌悪感も、もともと時の経過により希釈する類のものであると考えられることに加え、一般的に、自殺事故の後に新たな賃借人が居住をすれば、当該賃借人が極短期間で退去したといった特段の事情がない限り、新たな居住者である当該賃借人が当該物件で一定期間生活をすること自体により、その前の賃借人が自殺したという心理的な嫌悪感の影響もかなりの程度薄れるものと考えられる。

自殺事故の後の最初の賃借人には自殺事故があったことを告知すべき義務があるというべきであるが、当該賃借人が極短期間で退去したといった特段の事情が生じない限り、当該賃借人が退去した後にさらに賃貸するに当たり、賃借希望者に対して自殺事故があったことを告知する義務はないというべきである。」


として、1年間の賃貸不能期間、及び賃料が半額となる2年間の一契約期間のみ仮定して、その賃料差額分を損害として認容しました。


ところで、トリビア的知識になりますが、自殺は、キリスト教やイスラム教では禁止されていて、刑法上の犯罪になる国もあると聞いたことがあります。しかし、我が国の刑法上は犯罪を構成せず、ただ、他人が自殺することを教唆したり幇助したりしたときのみ自殺関与罪(刑法第202条)が成立するに過ぎません。我が国の刑法のこの立場について、有力な学説は、「人には自己の生命について処分の自由を有するから、自殺には違法性がない」(違法阻却説・放任行為説)と説明するのですが、今回のリサーチ結果によると、そのような説明ができるのは、国家と国民との関係が問題となる刑事法の分野だけで、民事法上は色々な関係が問題となるので、今回取り上げた借家契約などとの関係で、借家内で自殺すると違法となることもあるということになりそうです。


というわけで、借家に住んでいると、うかうか自殺もできないというお話でした。

↑このページのトップヘ