(弊事務所の先月号のメルマガに書いた記事ですが、このブログにもアップさせていただきます。)

少々マニアックな話になりますが、私が学生だった頃(今から20年以上も前のことです。)、民事訴訟法の学説の中に、『手続保障第三の波』というものがありました。学説というよりも、民事訴訟法の目的や機能について、「第三の波」と言われていた考え方をとる学者グループの名称という側面もあったので、学派というのが正しいかもしれません。


どのような考え方なのかというと、それまで裁判所中心に組み立てられていた手続理論を、当事者中心にして、民事手続きを「当事者相互の論争・対話という相互作用によって紛争を解決するルール」と捉え直します。そして、手続内における当事者の役割分担を意識した行為規範をきめ細かく探求していこうとする立場です。このように書くと、ますます良くわからなくなると思いますが、それまでの「上から目線」的な議論を、利用者・市民の側の目線によって再構築するものと考えればわかりやすいと思います。「市民のための民事訴訟」ではなく、「市民による民事訴訟」を目指したものです。具体的な結論においては、従来の考え方とそれ程違いが生じませんが、生身の人間としての当事者に着目しようという発想や、当事者間の論争・対話、和解による解決、裁判外の手続(ADR)を重視しようという発想には、とても広がりがありました。


当時、それまで有力だった東京大学の新堂幸司教授らの議論に真っ向から挑んだ(もしくは発展させた)のが、この『第三の波』学派であり、その中心人物が(当時)立教大学教授であった井上治典教授でした。井上教授がこの立場に立つことを宣言した『手続保障の第三の波』(法学教室28号・29号)という論文を読んだときには、私はとても感動して、血沸き肉躍るような状態になったことを覚えています。同論文には、当事者の主体性(自由)と自己責任を重視するというような、私の好きなフレーズがあったことと(要するに、「自由」を目指すようなイメージがあったということだと思います。)、これまでの権威に挑戦し、新たな解釈論を打ち立てるというような元気さがあったことに興奮したのだと思います。


それから、民事訴訟法をとても面白くさせてくれたのが、井上教授と東京大学の高橋宏志教授の共著『エキサイティング民事訴訟法』でした。この本は、テーマごとにゲストを招いて、井上教授と高橋教授と対談するというものでしたが、あたかもケンカが始まるような勢いで議論されていて、本当にエキサイティングでした。最近、もう一度読みたくなって、アマゾンで検索してみましたが、中古マーケットで2万5000円もしていました。なんであんな良い本を処分してしまったのだろうと、本当に「後悔先に立たず」状態であります。


私は、大学が違ったので、井上教授から直接教わったことはありません。しかし、司法試験の予備校の答案練習会の出題者講師として、2回ほど教えを受けたことがあります。この井上教授は、とにかく格好が良かった。長身ですらっと痩せていて、手足が長く、顔はちょっと岩城晃一に似ていました。言葉には、九州なまりがあり、目つきが鋭いので、ちょっと不良っぽい。不覚ながら、一遍にファンになってしまいました。


たしか2度目の答案練習会の時だったと思います。答案練習会が終わった後、あまりそのときの出題とは関係がなかったのですが、講師控室まで押しかけて、井上教授に対し、「第三の波が好きでいろいろ読んでいますが、判決効を理由中の判断まで及ぼす点は、主文中の判断のみに既判力を認める民訴法の規定とどのように整合性をとるのですか? 答案を書くときに書きづらくて。」などと生意気な質問をしてみました。すると、井上教授は、私の目をギロッと見据えられて、「君の質問はもっともだから、答案には第三の波で書かない方がいい。だけど、君が実務に出たときには、第三の波の考え方を忘れないでほしい。」と答えてくださったのです。私は、ちょっと感動して、平身低頭、「わかりました。」と言って、顔を上気させながら部屋を出てきたことを覚えています。


残念ながら、井上教授は、2005年10月にお亡くなりになられてしまいました。(私が言うのは大変僭越なのですが)とても惜しい人を亡くしました。


現在、私は実務に出ているわけですが、頭の中には、やはり学生時代に好きだった「第三の波」があります。


話は少し変わって、先日、同僚の萩原弁護士と労働審判事件を経験しました。この労働審判事件では、①原則当事者を同行する、②当事者対席で当事者にも事情を聞きながら審理する、③事前に書面は提出するものの、裁判官や労働審判官にその場で口頭で説明する、④原則として1回で解決できるようにする、というもので、「第三の波」の考え方に親和的であり、とても感銘を受けました。我々が100%勝ったわけではありませんが、事案に即した妥当な解決をしていただき、クライアントの満足も高かったと思います。全ての民事訴訟を労働審判型の審理方法にするのは難しいかもしれませんが、通常の民事訴訟にも取り入れられるところは多いように思いました。


このブログを読んでいただいている方には、同業者の方も多いと思いますが、皆さん、「第三の波」方式でいきませんか?きっと日本の民事司法は良くなると思います。

会社法の正義

私が司法試験を受験していた頃、論文試験のために、ひたすら論証パターンを覚えた。これは、ある条文についてAという解釈とBという解釈がある場合、まず、その条文の趣旨を説明して、「この条文の趣旨からすると、Aという解釈をとると趣旨が没却されるからB説が適当である」と論証するものである。この論証パターンの変形として、「Aという解釈をとると、そこに登場する甲さんにとってあまりにも酷だから、Bという解釈が適当である」などというものもあった。
しかし、よく考えてみると、「没却される」とか「酷である」などと言われても、本当に趣旨が「没却される」のか、本当に甲さんにとって「酷である」のかはよくわからないし、そもそも、条文の趣旨自体に対立があり、果たしてどちらの趣旨が正しいのかすらわからないときがある。何かカチッとした判断基準がないのだ。数字による定量化が図られているわけでもないし、多くの場合、趣旨が没却されていることや、甲さんに酷であることについて実証的な研究が行われているわけでもない。「何でそうしなければいけないの?」と問われると、「みんなが選挙で決めた代表者で構成される国会で決まったルールだから」とか、「判例でそう言っているから」とか、「コンメンタールにそう書いてあるから」などと形式論的な説明をする他なく、その法律や解釈の正しさの実質的論拠を説明できていないように思うのだ。
というわけで、何か底の浅い学問だなあという印象を受けたことを覚えている。弁護士になってからも、そういう印象は変わっていない。

ところが、この本はスゴイ。法の善し悪しを判断する基準として、ある法が存在する社会とそうでない社会を比較して、その優劣を決めるという「規則帰結主義」の立場をとり、その規則帰結主義の判断において、「法と経済学(Law & Economics)」の成果を活用するのだ。これによって、(私にとっては)何かあやふやなイメージのあった会社法の解釈に、一貫した柱、明確な根拠が与えられたように感じた。
「法と経済学」などというと、難しい数式が並んでいるのでは?と思うかもしれないが、嬉しいことに、あまり数式を使わないで易しく説明してくれている。「替え歌で覚える会社法」というユーモアたっぷりのコラムもあり、「笑い」もあるのだ。
こんなに内容の濃い本なのに、たった2600円。法律の専門書としては破格だろう。会社法の深い世界を知りたい人には、是非お勧めしたい本である。

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武器としての決断思考 (星海社新書)

東京大学卒業後マッキンゼーで働き、今は、京都大学の一般教養課程で、『起業論』などの講義を持っている瀧本哲史さんの著書です。瀧本さんは、日本経済が衰退期を迎えた現在、かつてのような高度成長時代の大会社に入っていれば安心というような時代は終わり、若者は将来について予測不可能な状況に置かれていると考えています。そのような状況の中で、いわばゲリラである若者たちに日本社会というフィールドで戦えるように、軍事顧問として「武器としての教養」を配りたいと言います。そして、今重要なのが、予測不可能な状況の中で、変化に対応できるように意思決定ができる思考方法であり、それに役立つのがディベートの技術なのだということで、ディベートの解説をしています。

裁判も、原告と被告、検察と弁護人が、法律の適用をめぐる議論(ディベート)をして、第三者である裁判官を説得する作業とみることができ、瀧本さんのディベートの説明は、とても参考になりました。日頃なんとなくわかってはいるのですが、体系的に説明されると、目からウロコなところがあります。この本は、若者のみならず弁護士にも武器を与えますね。よかったら、ご一読をお勧めします。



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 今年(平成24年)1月6日、労働政策審議会が、厚生労働大臣に対して、厚生労働省設置法第9条第1項第3号の規定に基づき、「今後の高年齢者雇用対策について」と題する建議を行いました( http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001zl0e.html  )。 
 本ブログでも取り上げました、昨年12月の「有期労働契約の在り方」に関する建議に続き、これも注目すべき建議といえます。

 建議は、以下の2点について、法的整備も含め所要の措置を講ずることをその内容としています。

 1 希望者全員の65歳までの雇用確保措置 
 2 生涯現役社会の実現に向けた環境の整備

 このうち、1の「希望者全員の65歳までの雇用確保措置」に関して、建議の内容を、補足しながら、わかりやすく紹介しておきたいと思います。そして、単なる紹介にとどまることなく、法改正後にも生じることが予測される「交渉決裂ケース」について、私見を発表しておきたいと思います。
 建議の全文を把握されたい方は、下記URLにアクセスしてください。

 ご存知の方も多いと思いますが、現在の高齢者雇用安定法(正確な名称は、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S46/S46HO068.html )は、その第8条で「事業主がその雇用する労働者の定年(以下単に「定年」という。)の定めをする場合には、当該定年は、60歳を下回ることができない。」と定めています。

 この法定定年年齢(60歳)を65歳に引き上げて継続雇用を実現すべきであるという意見もありうるところですが、建議では、
(1) 直ちに法定定年年齢を引き上げることは困難である。この問題に関しては、……中長期的に検討していくべき課題である。
として、いわば「見送り」となっています。

 現行制度においても、高年齢者雇用確保措置として、定年年齢を65歳としている会社もありますが、ほとんどの企業は「継続雇用制度」を導入していると思われます。その根拠となっているのが、高年齢者雇用安定法第9条です。

第1項 定年(65歳未満のものに限る。以下この条において同じ。)の定めをしている事業主は、その雇用する高年齢者の65歳までの安定した雇用を確保するため、次の各号に掲げる措置(以下「高年齢者雇用確保措置」という。)のいずれかを講じなければならない。
 ①  当該定年の引上げ
 ②  継続雇用制度(現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者をその定年後も引き続いて雇用する制度をいう。以下同じ。)の導入
 ③  当該定年の定めの廃止
第2項  事業主は、当該事業所に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準を定め、当該基準に基づく制度を導入したときは、前項第2号に掲げる措置を講じたものとみなす

 上記第9条第2項は、事業主が「継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準」(いわゆる「対象者基準」)を定めることを許容しています。 現在の実務では、この条項に基づき、継続雇用の対象を限定的にしていることが多いです。
 建議は、この点に触れ、
(2) しかし、現行制度では65歳までの希望者全員の雇用を確保することとなっていない。これにより、2013年度からの老齢厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢の引上げに伴い、無年金・無収入となる者が生じることのないよう、……雇用と年金を確実に接続させるため、現行の継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準は廃止することが適当である。
と提言しています。ただし、(2)に関して、
就業規則における解職事由又は退職事由(年齢に係るものを除く)に該当する者については、〔希望者であっても〕継続雇用の対象外とできるとすべきである(この場合、客観的合理性と社会的相当性が求められると考えられる)。  ※〔〕部分は私が補記
と述べており、「何が何でも継続雇用の対象となる」と言うわけではなく一部の例外を認めています。
 また、対象者基準の廃止という基本的な立場に対して、
使用者側委員から、①現行法9条2項に基づく継続雇用の対象者基準は、……安定的に運用されていることや、基準をなくした場合〔つまり、希望者全員が継続雇用の対象となるとすると〕、若年者雇用に大きな影響を及ぼす懸念があるから、引き続き当該基準制度を維持する必要がある、②仮に、現行の基準制度の維持が紺案な場合には新しい基準制度を認めるべき、との意見が出された  ※〔〕部分は私が補記
ことから、
(3) 老齢厚生年金(報酬比例部分)の支給開始年齢の段階的引き上げを勘案し、雇用と年金を確実に接続した以降は、できる限り長期間にわたり現行の9条2項に基づく対象者基準を利用できる特例を認める経過措置を設けることが適当である
とも述べています。一定の経過措置がとられることになると思われます。
 なお、継続雇用の受け入れ先に関しては、
(4) 同一の企業の中だけでの雇用の確保には限界があるため、〔当該企業に限られず、〕①親会社、②子会社、③親会社の子会社(同一の親会社を持つ子会社間)、④関連会社など事業主としての責任を果たしていると範囲  ※〔〕部分は私が補記
に拡大すべきとしています。確かに、これは一定の規模を持つグループ企業には有効ですが、中小企業の多くは、その"恩恵”を受けにくいように思われます。
 制裁や罰則に関しては、
(5) 全ての企業で確実に措置が実施されるよう、指導の徹底を図り、指導に従わない企業に対する企業名の公表等を行うことが適当
とされています。
 その他、政府の責務についても提言していますが、基本的には上記以上のことは提言されていません。例えば、継続雇用する場合の労働条件は定年を迎える前と同一でなければならないといったようなことは書かれていないわけです。

 具体的なケースとして、対象者が継続雇用を希望した場合に、会社も継続雇用を前提に一定の労働条件を示したときに、対象者が「その条件は嫌です。」といって交渉が決裂した場合はどうなるか、私は、この点が実務的に非常に重要な問題であると考えています
 この問題に対する直接的な解答を、上記建議は与えてはいないと考えられます。

 そこで、現段階における私の意見を簡単に述べておきたいと思います。
  1.  まず、法律が改正されたとしても、「継続雇用をする際に、その労働条件は定年前と同一でなければならない」という規定は置かれないと思います。というのは、そのような規定は、実質的には、上記建議にて見送られている「法定定年年齢の引き上げ」にほかならないからです。

  2.  そうすると、会社が強いて「継続雇用後の労働条件は同一とする」といった就業規則等を定めていない限り、原則として会社には、同一の労働条件で労働契約を締結する義務はなく、労働条件を決定する自由(裁量)があると解すべきです。

  3.  つまり、継続雇用を希望する労働者が、会社が提示した労働条件を拒否して、結果的に継続雇用契約が成立しなかった場合でも、会社は継続雇用義務を果たしているとして、会社の行為が無効とされ(労働者の希望する労働条件での継続雇用契約が成立し)たり、不法行為になったりすることはないと考えるべきであると思っています。

  4.  もっとも、会社が提示する労働条件が(相対的又は絶対的に)あまりに低すぎる場合、労働者との交渉が非誠実であるなど手続的に問題がある場合等は、実質的にみて会社が法の要求する継続雇用義務を果たしていると評価しえず、会社の行為が裁量逸脱ないし権利濫用であるとして、違法無効とされ(労働者の希望する労働条件又は一定の合理的な労働条件での継続雇用契約が成立し)、不法行為を構成することになると考えられます。

  5.  紛争になり、裁判所が、上記3なのか4なのかを決する場合には、会社が提示した労働条件はどういう内容であったのか、他方労働者が提示した労働条件はどういう内容だったのか、当該労働者がそれまで受給していた給与の額や将来受給する予定である年金受給額、会社と労働者との交渉経過、他の継続雇用者との比較、継続雇用制度の運用状況や慣行、会社の経営状況等が考慮要素になると考えられます。

  6.  したがって、会社側は、労働者に提示する労働条件は、上記5の考慮要素に気をつけながら決定することが望まれます。そして、労働者との交渉は、面談するとしても書面も併用し、万が一紛争となった場合に備えて証拠化しておくのが望ましいと考えられます。

  7.  一点補足説明しておくと、私は、労働条件で交渉が決裂して労働契約が成立に至らなかった場合には「解雇権濫用法理の類推適用」ないし「雇止め法理」による判断枠組みは適用されるべきではないと考えています。というのは、(実質的に「継続雇用の拒否」と評価できる労働条件を提示している場合は別として、)会社側は雇用契約の締結自体を拒否しているわけではないからです。上記の法理による判断枠組みのような厳格な判断はなじまず、一定の合理的な労働条件を提示したにも労働者側が承諾しなかったのであれば、何ら違法ではないという緩やかな判断をすべきであると考えています。

 以上の点は、反論が十分にあり得るところですし、私の個人的な見解にすぎません。この点は、現行制度下における現在の裁判例に関する検討を含めて、別の機会に記事として取り上げられたらと思います。

 なお、会社側の意思表示及び労働者側の意思表示のどちらを、「申込み」「承諾」と解するかについて、私なりの見解をまとめているところです。これもまた、別の機会に発表できたらと考えています。



弊事務所の顧問先の1社である有限会社西ヶ原字幕社が、『鯨とり -コレサニャン-』という韓国映画のDVDを発売しました。この『鯨とり』という映画は、1984年に韓国で制作され、同年の国内最高観客動員数を記録し、韓国映画史上に残る名作と評価されているものです。日本でも88年に劇場公開され、VHSビデオも販売されましたが、権利元の消滅に伴いDVD化がなされずにいたものを、新たに西ヶ原字幕社でビデオグラム権を取得し、この度の販売にこぎつけました。本年120日から発売が開始されており、弊事務所でも早速購入して、拝見させていただきました。

ストーリーは、さえない大学生ビョンテが女性にふられ、家出して、ひょんなことからインテリのホームレス、ミヌと出会い、これまたひょんなことから売春宿で働く失語症のチャンジャと知り合って、ビョンテとミヌとで売春宿から脱走させて、ソウルからチャンジャの故郷の牛島まで送り届けるという青春ロードムービーです。現在の韓流ドラマのような美男美女は出てきませんが、ミヌ役のアン・ソンギ(韓国でとても有名な俳優です。)は、笑顔が素敵な渋いハンサムガイであり、また、ソウルの売春宿などと聞くととても暗そうですが、どことなく発展途上の韓国の明るさや希望が感じられたり、ソウルから牛島までの道のりでは、寒そうなんだけど美しい韓国の冬の田舎の風景が見られたり、売春宿の追手の人たちにも、最後には、人情味が感じられたりして、とても面白かったです。

BGM
は、ビョンテ役のキム・スチョル氏(もともとミュージシャンです。)が担当していますが、今聴いても新しい。西ヶ原字幕社のキム・スチョル氏に対する独占インタビューが特典映像として付いており、韓国ロックのファンにとってはとても貴重な映像とのことです。

西ヶ原字幕社は、韓国語の映像翻訳に特化した翻訳会社であり、2005年の設立以来、数々の作品を手掛け、最近では、イ・ビョンホン主演の『アイリス』も、西ヶ原字幕社が制作したものです。今回の『鯨とり』も、字幕・吹き替え翻訳は西ヶ原字幕社が手掛けており、今回のDVDの販売には、同社の韓国語理解の確かさや、映像翻訳に対する情熱をアピールする狙いもあるとのこと。

DVD
『鯨とり』は、同社の特設サイト(http://jimakusha.co.jp/kujiratori/)又はアマゾン(http://www.amazon.co.jp/)にて購入できますので、ご興味のある方には、ぜひぜひ購入をお勧めします。

 昨年の12月に弊事務所のメールマガジンにて、労働事件の方の「オリンパス事件」を取り上げました。
 その際に、

 「今回の事件の発端は、そもそも、オリンパスのコンプライアンス室が、Xからの通報を、「通報者がXであること」を秘匿せず、通報対象であるCやDに開示してしまったことにあるように感じます。「飛ばし」の事件といい、今回の事件といい、良識や倫理による内部統制の機能不全という点でつながっているように感じてしまうのは僕だけでしょうか。」

という形で締めくくらせていただいていたのですが、先日(今年1月27日)、東京弁護士会がオリンパスに対して警告を発しました。
 この警告文については、東京弁護士会のサイト上で公表されていますが、要旨としては、「相手方会社の従業員であった申立人は、相手方社内において顧客会社からの不適切な従業員引抜きをしようとしていることを知り、相手方内の内部通報窓口に通報した。すると、当該通報窓口担当者は、申立人が当該通報を行ったことを相手方社内の関係者に漏洩した。その後、申立人は、通報を行ったことに対する報復として、全く経験のない部署へ異動させられ、異動先において、社内外の関係者との全面的接触禁止、不明確かつ達成できない業務目標の設定、月次面談等における申立人に対する不適切な言動、著しく低い人事評価の継続などのパワーハラスメントを受けた。相手方における、上記情報漏洩、不当な動機・目的による配転命令、配転後の一連のパワーハラスメントが、いずれも申立人のプライバシー・人格権を侵害するものとして、相手方に対し警告を発した事例。」として纏められています(http://www.toben.or.jp/message/jinken/)。
 この警告文をみてみますと、やはり、Xによる通報の事実を開示してしまったことが第一に問題視されています。

 現在、訴訟の方は、オリンパスが上告中であり、東京高裁の判決は確定しておりませんので、今後も注目されるところです。そこで、改めて、オリンパス事件について、私の感想とともに記事を載せておきたいと思います。


1.事件の概要(配転命令に関する判断枠組み)

 平成23年8月31日、東京高裁は、オリンパスが従業員に対してなした配転命令を「人事権の濫用」とする判決が出しました。
 この事件は、オリンパス株式会社の従業員Xが、自己が受けた配転命令は、同会社の事業部長Cや販売部長Dらの取引先企業からの従業員の引き抜き行為について同会社のコンプライアンス室に通報したことなどに対する報復としてなされたものであると主張して、会社に対して配転先で勤務する義務がないことの確認などを求めたものです。
 上記東京高裁判決は、昨年平成22年1月15日に出された東京地裁判決(同判決は、人事権の濫用には該当しないとしていた)と異なる判断を示しました。

 今回の事件で主たる問題となったのは、配転命令の評価です。東京高裁も東京地裁も、同じ判断枠組みを用いており、違いはありません。
 いわゆる東亜ペイント事件(最高裁昭和61年7月14日判決・労判477-6)で最高裁判所が示した下記の判断枠組みです。
 「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである」。
 そして、業務上の必要性については、「当該転勤先への異動が余人をもつては容易に替え難いといつた高度の必要性に限定することは相当でなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定すべきである」。

 この判断枠組みは、以下のように整理できます。

(1) 原則として、会社は、業務上の必要に応じ労働者の勤務場所を決定することができる。
(2) 例外的に、特段の事情の存する場合は、権利の濫用として許されない。
(3) 特段の事情としては以下のような例が挙げられる。
 ① 業務上の必要性が存しない場合
 ② 業務上の必要性が存する場合であっても、他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき
 ③ 業務上の必要性が存する場合であっても、労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき
(4) なお、(3)の業務上の必要性は、余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定されない。


2.第一審・東京地裁判決(東京地裁平成22年1月15日判決・判時 2073号137頁)
 上記判断枠組みを前提に、東京地裁は、オリンパス株式会社の従業員Xに対する配転命令には業務上の必要性があり、他の不当な動機・目的をもってなされたものではない旨の判断を示し、Xの請求をいずれも棄却しました。


3.控訴審・東京高裁判決(東京高裁平成23年8月31日判決・判時 2127号124頁)
 東京地裁の審理は、1回目の第1配転命令のみが審理対象とされていましたが、会社は、口頭弁論終結後の平成22年1月1日付けで、第2配転命令を出し、さらに、東京高裁で審理中に、第3配転命令を出し、次々とXに異動を命じました。
 そのため、従業員X側が、審理対象を変えるため、訴えの変更の申立てを行いました。
 東京高裁は、これを受けて、第3配転命令の効力を判断する前提として、第1配転命令及び第2配転命令も判断しています。
 東京高裁は、詳細な事実認定を行ったうえで、
 ① 第1配転命令は業務上の必要とは無関係になされ、動機において不当なものであり、第2配転命令及び第3配転命令も第1配転命令の延長線上で、同様に業務上の必要とは無関係にされたものである
 ② 異動を命じる対象としてXを選択したことには疑問がある
 ③ いずれの配転命令もXに相当な経済的・精神的不利益を与えるものであること
等と判断し、いずれの配転命令も人事権の濫用であるというべきであるとし、東京地裁の判決を変更しました。


4.意見・感想
 今回の事件について、個人的に注目している点は、下記の点です。


(1) 第1配転命令につき係争中であったにもかかわらず、第2配転命令(東京地裁での判決の直前)、第3配転命令(東京高裁での審理中)と次々と配転命令を出してしまったこと


(2) 第2配転命令後、Xに課された業務は、①今まで経験したことのなく基礎的知識もない分野に係る顕微鏡の規格の和文英訳、②(①が時間内に遂行することが不可能であったためその業務を取り上げられ)『X君教育計画』と題する書面を交付され、顕微鏡に関する新人用テキストを読み込んで勉強し、時々確認テストを受けるというものであったこと


(3) 第3配転命令後、Xに課された業務は、『Xさん教育計画』と題する書面を交付され、新入社員向けの初歩テキストの独習と毎月末の確認テストを受けるというものであったこと


 上記の事実は、東京高裁が、証拠に基づいて認定した事実です(真実かどうかはわかりません)。いずれも会社側にとって不利な事実として評価されています。
 この評価自体は、何ら不自然ではなく、会社側としても、東京高裁に「50歳となった控訴人〔X〕に対する侮辱的な嫌がらせ」と評価されてしまうことは十分予測できたのではないかと思うのです。
 にもかかわらず、訴訟継続中になぜ上記のような配転命令を行い、上記のような業務を課し続けてしまったのでしょうか。東京高裁に不利な評価をされてしまうリスクについて十分な検討がなされていたのか、疑問が残ります。
 もしかしたら、現場レベルで情報がとまっており、会社の法務を担当する部署にまで情報が上がっていなかったのかもしれません。そして、会社側の代理人として訴訟を担当している弁護士も、配転後どのような業務を課すのか、課しているのかという点まで把握していなかったのではないかと推測されます(具体的な業務内容を把握していればストップをかけていたと思われます)。


 近時、パワハラやセクハラ等の問題を含め、会社内部の不祥事に対する対応という点が、労務管理上も重要となっております。
 従業員側から申し出があった場合には、会社は、まず、調査することが望まれます。会社(使用者側)は、一般に「職場環境の調整配慮義務」を負っていると解されているからです。調査をしたうえで、適切な措置を講じなければなりません。
 過去の裁判例(セクハラの事件)においても、「専務らは、早期に事実関係を確認する等して問題の性質に見合った他の適切な職場環境調整の方途を探り、いずれかの退職という最悪の事態の発生を極力回避する方向で努力することに十分でないところがあった……以上のとおり、専務らの行為についても、職場環境を調整するよう配慮する義務を怠〔った〕」と指摘されたり(福岡地裁平成4年4月16日判決・判時1426号49頁)、「会社は、X〔労働者〕や支店長に機会を与えてその言い分を聴取するなどして、Xと支店長とが特別な関係にあるかどうかを慎重に調査し、人間関係がぎくしゃくすることを防止するなどの職場環境を調整すべき義務があったのに、十分な調査を怠り、上司らの報告のみで判断して適切な処置を執らず、……職場環境を調整する配慮を怠った」と指摘されている(静岡地裁沼津支部平成11年2月26日判決・労判760号38頁)ところです。
 
 調査に際しては、公平性を保つため、当事者の利害関係人や同一所属部署の者以外の者であったり、外部の弁護士が担当することが望ましいといえます。
 また、申し出た労働者に配慮する必要もあります。申し出た者に対して、不当な扱いがなされないように、申し出の事実を秘匿する必要性についても検討しなければなりません。
 調査の原則的な流れとしては、①当事者双方から事実関係を確認する、②事実関係に不一致がある場合には、第三者からも事実関係を聴取する、③事実関係が確認できない場合は、当事者双方に社外の中立な第三者機関に紛争処理を委ねることを勧めるということになると考えられます。
 仮に事実関係が確認できた場合には、それに応じて適切な措置も講じなければなりません。

 以上のとおり、パワハラやセクハラの問題は、(ひょっとすると、なかなか弁護士に相談しづらい事項なのかもしれませんが、)早期に対処すべき法的問題であること、しかも放置すると問題が大きくなる可能性も孕んでいることに十分留意していただきたいと存じます。



株式会社法 第4版

私がこの本の書評を書くのは、おこがましいというか畏れ多いのですが、200912月の第3版の発行後、2年を経て、昨年12月に第4版が発行されました。 

改訂箇所としては、この間の会社法改正を組み込むとともに、金商法、産活法、民事訴訟法、非訟事件手続法、法人税法といった周辺法令の改正を反映し、さらに、金融商品取引所の上場規則による独立役員確保の義務づけ等、ライツ・イシューに関する制度の整備といった業界の自主規制ルール及び企業買収等の分野を中心に現れた多数の新判例を盛り込んだというものがあります。

この本については、いろいろな意見があるようですが、私が思うに、本の帯にもあるのですが、「企業法務の実務に携わっている者にとっては必携の本」であるということです。実務では、この本だけでは足りませんが、細かい丁寧な(注)で問題となる論点やその論点についての考え方が端的に示されており、さらに嬉しいのは、参照すべき判例のみならず、文献までもが提示されていることです。私は、会社法関係で何かわからないことがあったときは、まず江頭『株式会社法』を参照し、そこで問題となっている論点についてどう記載されているかを確認したうえで、判例やコンメンタール、法律専門誌に掲載された論文にあたることにしています。

アマゾンのカスタマーレビューを見ると、「索引が使いにくい」とか「せめて辞書は辞書らしく」とか、あまり本質的でないことを批判されていますが、仕事として企業法務をやる人にとっては、索引を使わないでも、「あの辺にこんなことが書かれていたな。」というくらいには読み込んでほしい本です。

私は、企業の法務部の人から、「会社法の本としてはどんな本を読んだらいいでしょうか?」と聞かれると、必ずこの本を勧めます。

現時点における会社法の基本書の最高傑作だと思います。

先日、知人から「借家で賃借人が自殺した場合、賃借人の遺族(相続人)は、賃貸人から損害賠償請求を受けることがあるのか?」との質問を受けました。  


一般に、マンション等を販売したり、賃貸したりしようとしている不動産業者(及び仲介業者)は、そのマンションで自殺があったような場合には、買主又は賃借人に対し、当該マンションで自殺があったことを告知し、説明しなければならないと解されています(参考判例:東京地判平20.4.28 判タ1275-329)。これは、物件の中で自殺があると、事故物件として物件の価格や賃料は下がることになりますので、これを故意に隠しながら販売したり、賃貸したりすると、購入者や賃借人を騙しているようなことになり、宅地建物取引の公正が確保されないと考えられるからでしょう(宅建業法第47条参照)。  


このような知識はありましたが、私としては、今回のご質問のような、「借家で自殺が発生した場合に遺族が家主から損害賠償を請求されるのか?」というような話はあまり聞いたことがありませんでした。しかし、確かに、家主の立場からすれば、貸室の中で自殺されると、その後、貸室を新たな賃貸人に貸そうとするときに賃料を減額せざるを得ない等の悪影響がでるわけですから、遺族に損害賠償を請求したくなるのかもしれません。そこで調べてみたところ、やっぱりこのような事例についての判例はあるのですね(ただし、いずれもネットによる有料の判例検索のサービスで、刊行物としては無いようです。)。

1.東京地方裁判所平成131129日判決

事案は、借上げ社宅としてある会社に賃貸していたところ、住んでいた従業員が自殺してしまったので、賃貸人(原告)が、賃借人である会社(被告)に対し、10年間にわたって貸室を通常よりも安い賃料でしか貸せなくなったとして、10年間の賃料差額相当額の支払いを求めたものです。
東京地裁は、次のように述べて、賃貸人の請求を認めました。
 
 

「貸室において入居者の自殺という事故があると、少なくともその直後においては、通常人からみて心理的に嫌悪すべき事由(いわゆる心理的瑕疵)があるものとして、当該貸室を他に賃貸しようとしても、通常の賃料額で賃貸することは難しく、通常の賃料額よりもかなり減額した賃料額で賃貸せざるを得ないのが実状であると推察される。」

「被告は、原告に対し、本件賃貸借契約上の債務として、善良なる管理者の注意をもって本件貸室を使用し保存すべき債務(賃貸借契約書第5条、民法400条)を負っていたというべきであり、その債務には、本件貸室につき通常人が心理的に嫌悪すべき事由を発生させないようにする義務が含まれるものと解するのが相当である。」

「しかるに、被告は、上記債務について、履行補助者たるD(社宅に住んでいた従業員)が本件貸室において通常人が心理的に嫌悪すべき自殺をしたことにより、不履行があったものと認められ、かつ、その債務不履行について被告の責めに帰すことができない事由があるものとは認められない。」

「以上によれば、原告は、被告の債務不履行によって、〔中略〕損害を受けたということができる。」  


ただし、損害については、「本件のような貸室についての心理的瑕疵は、年月の経過とともに稀釈されることが明らかであり、本件貸室が大都市である仙台市内に所在する単身者用のアパートの一室であることをも斟酌すると、本件貸室について、本件事故があったことは、2年程度を経過すると、瑕疵と評することはできなくなる(したがってまた、原告において、他に賃貸するに当たり、本件事故があったことを告げる必要はなくなる)ものとみるのが相当である。」として、2年間分の賃料差額相当額しか、損害としては認めませんでした。


2.東京地方裁判所平成19810日判決

この案件は、貸室内で賃借人が死亡したため、家主が、賃借人の相続人と、賃借人の連帯保証人に対し、6年間分の予想賃料差額を損害として、請求したものです。

これについても、東京地裁は、  


「賃貸借契約における賃借人は、賃貸目的物の引渡しを受けてからこれを返還するまでの間、賃貸目的物を善良な管理者と同様の注意義務をもって使用収益する義務がある(民法400条)。そして、賃借人の善管注意義務の対象には、賃貸目的物を物理的に損傷しないようにすることが含まれることはもちろんのこと、賃借人が賃貸目的物内において自殺をすれば、これにより心理的な嫌悪感が生じ、一定期間、賃貸に供することができなくなり、賃貸できたとしても相当賃料での賃貸ができなくなることは、常識的に考えて明らかであり、かつ、賃借人に賃貸目的物内で自殺しないように求めることが加重な負担を強いるものとも考えられないから、賃貸目的物内で自殺しないようにすることも賃借人の善管注意義務の対象に含まれるというべきである。」


として、故賃借人の債務不履行を認めています。そのうえで、損害については


「自殺があった建物(部屋)を賃借して居住することは、一般的に、心理的に嫌悪感を感じる事柄であると認められるから、賃貸人が、そのような物件を賃貸しようとするときは、原則として、賃借希望者に対して、重要事項の説明として、当該物件において自殺事故があった旨を告知すべき義務があることは否定できない。
しかし、自殺事故による嫌悪感も、もともと時の経過により希釈する類のものであると考えられることに加え、一般的に、自殺事故の後に新たな賃借人が居住をすれば、当該賃借人が極短期間で退去したといった特段の事情がない限り、新たな居住者である当該賃借人が当該物件で一定期間生活をすること自体により、その前の賃借人が自殺したという心理的な嫌悪感の影響もかなりの程度薄れるものと考えられる。

自殺事故の後の最初の賃借人には自殺事故があったことを告知すべき義務があるというべきであるが、当該賃借人が極短期間で退去したといった特段の事情が生じない限り、当該賃借人が退去した後にさらに賃貸するに当たり、賃借希望者に対して自殺事故があったことを告知する義務はないというべきである。」


として、1年間の賃貸不能期間、及び賃料が半額となる2年間の一契約期間のみ仮定して、その賃料差額分を損害として認容しました。


ところで、トリビア的知識になりますが、自殺は、キリスト教やイスラム教では禁止されていて、刑法上の犯罪になる国もあると聞いたことがあります。しかし、我が国の刑法上は犯罪を構成せず、ただ、他人が自殺することを教唆したり幇助したりしたときのみ自殺関与罪(刑法第202条)が成立するに過ぎません。我が国の刑法のこの立場について、有力な学説は、「人には自己の生命について処分の自由を有するから、自殺には違法性がない」(違法阻却説・放任行為説)と説明するのですが、今回のリサーチ結果によると、そのような説明ができるのは、国家と国民との関係が問題となる刑事法の分野だけで、民事法上は色々な関係が問題となるので、今回取り上げた借家契約などとの関係で、借家内で自殺すると違法となることもあるということになりそうです。


というわけで、借家に住んでいると、うかうか自殺もできないというお話でした。

昨年、弊事務所のメルマガに載せた原稿を修正したものですが、ブログにも掲載させていただきます。

先日、ある人から、「預金通帳を落としてしまったが、拾ってくれた人が現れた場合、報労金を支払わなくてはならないのか?」という質問を受けました。預金通帳は既に再発行してもらっていて、落とした通帳は使えなくなっているそうですが、拾った人が現れて、お金を請求されるのが心配とのことです。調べてみたところ、面白い結果になりましたので、以下、簡単に説明させていただきます。


落し物を拾って届けてくれた人に報労金を支払わなければならないか、については、遺失物法という法律が規定しています。私としては、現金を拾ってもらった場合でなければ、特に報労金など支払う必要はないのではないかと思っていましたが、遺失物法281項は、「物件の返還を受ける遺失者は、当該物件の価格の百分の五以上百分の二十以下に相当する額の報労金を拾得者に支払わなければならない。(抜粋)」と規定しており、報労金の対象となる逸失物について、現金に限定してはいませんでした。つまり、現金に限らず、物件の返還を受けたときは、その物件の価格の5%20%を報労金として支払わなければならないようです。

では、通帳の場合、遺失物法281項にいう「物件価格」はどのように評価したらよいのでしょうか?


実際に通帳の価値を直接算定した裁判例があれば話は早いのですが、そのような裁判例は見つかりませんでした。そこで、類似の問題として、有価証券の拾得者への報労金算定について、裁判例の動向を見てみることにしました。


すると、株券について「価格は額面額や時価そのものではなく、・・・遺失者が損害を受ける危険の程度を標準として決定すべきである」と判示する裁判例(大阪高判平成20 125日)や、手形について「遺失手形の価格はその手形の遺失者が手形を遺失したことによつて受ける経済的な不利益又は危険と他面その手形の拾得と返還によつて遺失者が受ける危険防止の利益すなわち経済的利益とを基礎として算定するのが相当である。」とする裁判例(名古屋地判昭和4034日)がありました。

また、小切手についても同様に、「小切手が現金化され又は第三者に善意取得されて遺失者が財産上の損害を被る危険の程度を勘案し、当該小切手金額及び右危険の程度を考慮して「物件の価格」を定めるべきである。」と判示した裁判例(東京高判昭和58 628日)があります。この事件においては小切手が現金化される可能性は絶無であったとして、小切手金額の2%の金額をもって、遺失物法281項の「物件の価格」とする、としています(例えば、100万円の小切手であったとすれば、100万円×0.02×0.05(遺失物法281項に定める下限割合5%)=1000円 が報労金ということです。)。

以上のように、有価証券の金銭評価は、遺失者に経済的損害が発生する「危険性」をもって判断するようです。本件で問題となっている預金通帳は有価証券ではありませんが、有価証券と同じ議論ができるとすれば、通帳を遺失したことにより発生しうる経済的不利益又は危険(通帳を使って口座から預金が下ろされ、財産上の損失を被る可能性がどのくらいあったか)を考慮して報労金が算出されると考えることができます。

この点、2009年に、残高800万円の通帳及び印鑑を拾得した者が報労金支払いを求めて提訴した事件がありましたが、この事件は、和解によって30万円の報労金支払にて解決しています(平成22113日新潟地裁長岡支部)。そこでは、800万円×0.75×0.0530万円 という計算式が推測されますので、通帳残高の75%相当が「物件の価格」とされたのではないかと考えられます。これは、通帳のみならず印鑑も一緒に落とした事案であったため、比較的容易にお金を引き出されて遺失者が経済的損失を被る危険性がありましたので、「物件の価格」が高く設定されたのではないでしょうか。

したがって、私に質問した人の場合のように、通帳を落としただけで、印鑑や暗証番号情報等が拾得者に知れていないような場合は、通帳だけで預金を引き出せる可能性はかなり低いので、報労金が発生するとしても極めて少額なのではないかと予想しています。

いずれにしても、何かを落として、後日警察から「出てきましたよ」などと電話があったときは、報労金のことを心配しなければならないようですね。私は携帯電話が見当たらなくなって慌てることがよくあるのですが、携帯電話の場合は報労金はいくらになるのでしょう。最近の携帯はお財布機能等いろいろ付いていますから、「物件の価格」や「経済的損害」の算定も複雑になりそうですね。

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)
民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)


   現在、民法の改正作業が進められています。   
   2009年11月に、法務大臣の諮問機関である法制審議会の民法(債権関係)部会で、民法改正についての審議がスタートし、2011年5月には「中間的な論点整理」が公表され、6月にはパブリックコメントが実施され、7月からはパブリックコメントを踏まえて、また審議が開始され、2013年までに中間試案を取りまとめる予定だそうです。

   この民法改正作業について、何故今、改正が必要なのか? どのような点が改正の対象になりそうなのか? といった疑問に答えてくれるのがこの本です。新書ということもあり、法律関係の仕事をしている人だけでなく、一般の人にも理解しやすいように平易に説明されています。

   この本によれば、民法を改正する必要性・理由は次の3点あります。

 1つ目は、現行民法はとてもわかりにくいということです。民法第95条の錯誤規定のように、条文を読んだだけでは意味が分からない、具体的な事案について規範内容が導けないことが多いため、膨大な判例法というものが形成されているのですが、民法典を読んでも、一般の国民がどう行動してよいかわからないのでは、一般国民にルールを提示すべき法律の役目を果たしていないことになります。私も、常々この点は感じますね。特に、不当利得と不法行為は、何とかしてもらいたい。

 2つ目は、現行民法は古すぎるということです。現行民法が制定されたのは、日清戦争が終了した1年後の1896年(明治29年)のことです。どのような時代だったかというと、その7年前にようやく新橋・神戸間で東海道線が開通し(東海道新幹線ではなく、東海道線です。)、3年後に、東京・大阪間で長距離電話ができるようになった時代とのことです。したがって、当然のことながら、現行民法は現代社会に対応できていないことになります。例として、消滅時効制度、法定利息、約款、預金取引、サービス提供契約、不可抗力による免責、事情変更の原則などが挙げられています。私の弁護士としての実感としても、そのとおりという気がします。

 3つ目は、国際化に対応できていないということです。グローバル取引の時代を迎え、今、各国で民法の改正が行われており、これから準拠法をどの国の法律にするか等々で、国際競争が行われようとしています(というか現に行われているのでしょう。)。その際に、古臭くて、穴だらけで、判例や学説を調べなければ、具体的に裁判で使われている規範が確定できないような民法では、たちうちできないということです。日本国民及び日本の法曹は、諸外国に引けを取らない知的水準にあると思うのですが、道具が悪くて負けてしまうなんて、とてももったいないことです。我が国の発展のために、民法改正を実現しなければならないという気になりました。 

   以上のようなことが、現行民法の制定過程に遡って、また具体例も多数挙げて、わかりやすく述べられています。民法改正の議論を早わかりするには最も適した本だと思いますので、おすすめ致します。

 ところで、著者の内田貴先生についてですが(弊事務所の弁護士はいずれも、面識はもありませんが)、民法改正作業のため、東京大学法学部教授の職を2007年に辞め、現在は法務省民事局参与として民法改正作業に従事されているとのことです。内田先生が東京大学出版から出している民法の教科書は、司法試験受験生であれば一度は参照したことがあるといっても過言ではないでしょう。とてもわかりやすいくて定評のある教科書です。末は大学者になると思っていましたが、教授の地位を投げ打って、民法改正に身を投じるとは。その心意気に感じ入りました。弊事務所の弁護士は、「民法が改正されるとまた新法を覚えなければならなくなるから、改正に反対」などと、器の小さい議論は決して致しません。

 内田先生を応援しています。


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