[ケース]
建物の賃借人が賃料の不払いを継続したため賃貸人が賃貸借契約を解除した場合(注1)、賃貸物件の立入り及び残置物の処分が問題となるのは、以下のようなケースです。
(ケース①―「夜逃げケース」)
賃借人と連絡がとれず、しかも賃借人が、借りている部屋に数ヶ月間帰宅している形跡がなく、部屋の中にも無価値な物(又は必ずしも無価値とまでは言えないが、ほとんど価値がなく賃借人が捨てて行ったとしか思われないような物)しか残っていない場合
(ケース②―「退去表明ケース」)
退去交渉の中で、賃借人が一定の日に退去することを表明したが、その後連絡がとれなくなり、その一定の日に退去したかどうかが不明であるものの、その後賃借人が部屋に帰宅している形跡はなく、部屋の中にも無価値な物(又は必ずしも無価値とまでは言えないが、ほとんど価値がなく賃借人が捨てて行ったとしか思われないような物)しか残置されていない場合
(注1) 本ケースにおいては、あくまでも賃貸借契約が解除されたことを前提としています。賃貸借契約が解除されていない限り、賃借人は賃貸物件(部屋)について賃借権という明確な権利を有しているので、賃貸物件への無断立入りは、原則として住居侵入罪(刑法第130条)を構成し、損害賠償(民法第709条)の対象になると考えられるからです。
ただし、東京弁護士会易水会編『賃貸住居の法律Q&A〔4訂版〕』(住宅新法社、2008年10月)285頁〔弁護士荻野明一執筆部分〕は、「賃貸借の期間中とはいえ、賃借人が黙ったまま家財道具や荷物を運び出して室内をからっぽにしたまま出ていき、何の連絡もなく戻って来ないうえ、また賃料も払わないといった状態が相当長い間続くなど、社会常識的にみて賃借人がみずから賃貸借契約を終了させて賃貸物件を明け渡したと認められるような例外的な場合には、新入居者を入れても住居妨害にはならないでしょう。」との記述もあります。
[問 題]
上記のケースにおいて、賃貸人としては、賃貸物件を開錠し、立ち入ったうえで、残置物を処分したいと考えるのが通常です。そこで、「果たして、これらの行為をして法的に問題はないのか」ということが問題となります。
この問題を、より分析的に記述すると、以下のとおりとなります。
1. 賃貸人(賃貸人から部屋の管理業務の委託を受けている管理会社も含む。以下同じ。)が、賃借人に無断で解錠し、賃貸物件(部屋)の中に立ち入った場合、刑事の問題として、住居侵入罪(刑法第130条)が成立するか? また、民事の問題として、不法行為(民法第709条)を理由に損害賠償請求の対象になるか?
2. 賃貸人が、賃借人の残置物を無断で処分した場合、刑事の問題として器物損壊罪(刑法第261条)が成立するか? また、民事の問題として、不法行為(民法第709条)を理由として損害賠償請求の対象になるか?
[検 討]
さて、それでは、上記の問題について検討していきたいと思います。
第1 一般的な理解及び本問の特殊性
(1) 類似質問についての一般的な理解
弁護士に相談すると、どのような回答が返ってくるのでしょうか。
まず、本問に類似する質問に対する一般的な理解を調査してみますと、次のような書籍の記載がありました。
① 水本浩他編『借家の法律相談(第3版補訂版)法律相談シリーズ』(有斐閣、2002年2月)406頁~407頁〔水本浩=東川始比古執筆部分〕は、「賃借人が夜逃げした場合、荷物を処分し空家にして他の人に貸せるか」という設問について、次のように回答しております。
「最近、サラ金などの借金苦のため、借家人が家財道具をそのままにして夜逃げをする例がよくあるそうです。そのような場合、借家人が残していった荷物を運び出したり、残された家財道具を勝手に処分して滞納した家賃に充当していることもあるそうですが、そのような行為は、強制執行手続による明渡および他人の財産の差押・競売による滞納家賃の充当という法的手続を潜脱する違法な行為なのです。したがって、夜逃げした賃借人やその家族から後にそのような行為の責任を追及された場合、損害賠償等の民事上の責めを負うことになるのはもちろん、場合によっては窃盗や横領などの刑事上の責任を追及されかねませんので、そのような手段は避けるべきでしょう。」
② また、野辺博編『借地借家の法律実務』(学陽書房、2001年3月)207頁~210頁〔上條司執筆部分〕も、「建物の賃借人が長期不在となってしまいました。賃貸人としては、借家契約を解除して、建物を明け渡してもらいたいのですが、どのように対処すればいいでしょうか。」という設問について、次のように回答しております。
「賃借人の部屋に勝手に入る行為は、たとえ賃貸人であっても刑事上は住居侵入罪などの犯罪行為に該当する可能性があり、また、民事上も違法な行為として慰謝料などを請求される可能性が高いと考えます。したがって、賃借人に無断でその部屋へ入るべきではありません。」
「長期不在の賃借人との借家契約が解除できたとしても、賃借人が建物内にその所有物などを残していたばあい、賃貸人としては、その残置物を搬出しなければ、他の者に建物を貸すことができませんし、また、残置物を廃棄処分できないとなると、近親者などが保管してくれないかぎり、その置き場にも困ることとなります。
しかしながら、賃貸人が困るとはいっても、勝手に賃借人の残置物を廃棄処分することができないのは当然です。」
したがって、弁護士に本問のような質問をすると、弁護士の標準的な回答は、「無断立入りには住居侵入罪(刑法第130条)、残置物の処分には器物損壊罪(刑法第261条)が成立する可能性があり、無断立入り・残置物の処分のいずれについても不法行為として損害賠償の対象になる可能性がある(民法第709条)。建物明渡訴訟を提起し、判決(債務名義)を取得したうえで、建物明渡の強制執行を実施し、その中で処理した方が適当である。」というものと考えられます(注2)。
(注2) このように考える背景として、賃貸人の自力救済は、強制執行手続を潜脱する違法な行為に該当する可能性があるので、可能な限り避けるべきであること、及び、この場合に賃貸人に(自力救済ではなく)建物明渡訴訟・強制執行といった法的手続きの履践を求めても、公示による意思表示(民法第98条ノ2)により賃貸借契約は解除でき、建物明渡訴訟の提起、判決の取得、強制執行の申立てにより、強制的に賃借人を退去させることができ、執行手続の中で残置物も処分できるため、何の支障もないという認識があるものと思われます(前掲・水本浩編『借家の法律相談(第3版補訂版)法律相談シリーズ』407頁参照)。
しかしながら、本問のような夜逃げケース及び退去表明のケースの中には、もはや賃借人が住居から退去しているとみられるケースが多く存在し、あえて賃貸人が「自力救済」をしたとか、強制執行手続を潜脱したとか言うほどの必要もないと思われます。また、現実の実務では、建物明渡訴訟の提起、判決の取得、強制執行の実施といった手順を踏むには、最短でも3か月から5か月(公示による意思表示や公示送達を行う必要がある場合には更に時間がかかる。)の時間を要するのが通常であり、賃貸人にとって決して軽い負担ではありません。
もう少し事案を細かく分析して、裁判制度を利用する必要のないケースを検討すべきではないだろうかというのが当職の問題意識です。
(2) 一般的理解の評価
① 確かに、刑法第130条(住居侵入罪)は、「正当な理由がないのに、人の住居〔中略〕に侵入し〔中略〕た者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」と定めているところ、判例は、「住居侵入罪は故なく人の住居〔中略〕に侵入す〔中略〕〔る〕ことによって成立するのであり、その居住者〔中略〕が法律上正当な権限を以って居住〔中略〕するか否かは犯罪の成立を左右するものではない〔傍点は筆者による。〕」(最判昭28.5.14刑集7巻5号1042頁)と判示するため、たとえ賃貸借契約が解除され、実体的には不法占拠者に過ぎない可能性がある者であっても、居住権者として認められることになり、その住居に無断で立ち入れば、住居侵入罪(刑法第130条)が成立する可能性があるということができます。
② また、民法第709条(不法行為による損害賠償)は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護されている利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定めているところ、上記のとおり、賃貸借契約が解除された後であっても、賃借人の住居に対する居住権(占有)が刑法上保護される以上、民法上も賃借人には法律上保護される利益があるというべきであるから、賃貸人が無断で住居に立ち入る行為は、その利益を侵害することとなり、民法第709条により損害賠償の対象になる可能性があるということになります(注3)。
(注3) 建物賃借人が賃借建物から退去し、約半年間賃料の支払いを怠り連絡がない場合に、賃貸人が同建物の施錠を破壊し内部に立ち入って残置物を廃棄処分した事案について、大阪高判昭和62年10月22日(判タ667号161頁)は、賃借人から賃貸人に対するプライバシー侵害を認め慰謝料請求の一部を認容しました。
③ さらに、たとえ賃借人が退去したと認められるような場合であっても、賃借人が残置物の所有権を放棄したとは限らないから、賃貸人が賃借人の同意を得ることなく残置物を処分すれば、刑事的には、その態様により、窃盗罪(刑法第235条)、占有離脱物横領罪(刑法第254条)、器物損壊罪(刑法第261条)が成立する可能性があり(注4)、さらに民事的には、民法第709条の不法行為により損害賠償請求の対象になる可能性があるということになります。
(注4) 賃借人の住居に対する占有が失われていなければ、賃貸人が残置物を第三者に売却して処分する場合、不法領得の意思に基づく占有侵害が認められるから、窃盗罪(刑法第235条)が成立することになると思われます。それに対して、賃借人の住居に対する占有が失われていれば、残置物は占有離脱物になるから、第三者に売却する場合等不法領得の意思が認められれば占有離脱物横領罪(刑法第254条)、単に廃棄処分する場合には器物損壊罪(刑法第261条)ということになると考えられます。
したがって、上記の各書籍の見解は、上記の各書籍でとりあげれた質問への回答としては、いずれも正しいとの評価が可能です。
しかしながら、このような見解を本問にそのままあてはめることは適当ではないと考えられます。
というのは、個々の案件には、それぞれ特徴があるので、個々のケースを具体的・詳細に考えなければなりません。そのうえで、本当に刑法犯が成立し、民事賠償の対象になるといえるかが問題なのです。
(3) 本問の特殊性
上記(1)で検討した書籍の設問は、「夜逃げ」又は「長期不在」は認められるものの、もっぱら残置物の処分を問題にしていることからして、賃借人が賃貸物件(部屋)の中に私物を殆ど残していったことが想定されています。これに対して、本問については、賃借人は残置物がないか、あったとしても無価値(又は必ずしも無価値とはいえないが、ほとんど価値がなく、賃借人が捨てて行ったとしか思えないような物)といえるような物です。
つまり、これまで上記の各書籍で検討されている案件は、賃借人の行方が不明であるものの、まだ客観的には住居内に多くの残置物が残っている等の事情から、賃借人の住居に対する占有が認められるような案件であるのに対し、本問の事例は、残置物もなく(又はほとんどなく)そもそも賃借人に「占有」が認められるかが争点となるようなケースであるといえます。
実務上、賃借人が夜逃げ等をするケースでは、住居内にあるもののうち必要なものは賃借人が持って出るのが通常であり、賃借人が着の身着のままで逃げることはむしろ稀です。したがって、従来の設問は、実務において問題となる多くの案件を補足できないうらみがあるといえます。
では、本問を具体的に検討した場合、どのように考えればよいのでしょうか。以下、本問のケースについて、立入りと残置物の処分に分けて検討していきます。
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