ちょっとショッキングなタイトルですが、これは、作家橘玲(たちばな あきら)さんの公式ブログの2012年8月9日の記事のタイトルです。

この記事はとても示唆的なので、是非ご一読をお勧めしますが、要約(意訳)すると、

(1) 大規模意識調査によれば、アメリカ人と日本人(および中国人)で、紛争処理の考え方についてほとんど違いがなく、むしろ、友人間の紛争については、教会コミュニテイの存在などが影響しているのか、アメリカ人の方が、訴訟を使うことに抵抗を示す度合が強い。

(2) それにもかかわらず、アメリカで訴訟が多いのは、交渉の入口として機能しているからである。すなわち、アメリカの訴訟には、強力なディスカバリー(証拠開示制度)があって、早期に事実関係を確定して、有利な和解を探ることが可能となる。民事訴訟が提起されても、実際にトライアルにまで進む事件は、2002年のデータで連邦裁判所で1.8%、州裁判所で15.8%に過ぎず、それ以外は、だいたい和解で解決していく。

(3) それに対して、日本の場合、訴訟は、任意交渉や調停で解決しなかった場合の最後の手段であり、ディスカバリーに相当する制度はなく(原告は自力で事実関係を確認するほかない。)、和解率は50%程度に過ぎない。
それ以外にも、日本の裁判には、強制執行制度の欠陥(支払う気のない債務者からの債権回収はほとんど不可能)、損害賠償の低さ(裁判をしてもしょうがない)、などの制度的問題がある。

(4) 要するに、日本人は、和を尊ぶ文化的要因ではなく、経済合理的な理由から(つまり、あまり役に立たないし、ペイしないから)訴訟を避けているのだ。(だから弁護士を増やしても訴訟は増えなかった)
以上から、「司法改革は、この司法制度の根幹に手をつけなくては機能せず、いまのままでは法科大学院に湯水のごとく税金を注ぎ込み、弁護士の失業を増やすだけに終わることになるだろう。」


最後の部分は、まさにその通りになってしまいました。
最近では、「司法修習生の就職先がないから司法試験合格者数を削減しよう」などという議論になっていることはご承知のとおりです。

私は、いち実務家ですので、現在ある制度を前提に、それをうまく使いこなすしかありませんが、現在の民事手続には問題が多く、立法も含めて、これを良い方向(役に立つよう)に変更していく必要があると考えています。

それにしても、橘玲さんの指摘は鋭いですね。