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最近の新聞で、面白い記事が出ていました。あるハンバーガー店で、常連客が、従業員から「ストーカー」と呼ばれて、名誉を傷つけられたとして、慰謝料500万円を請求したところ、第1審の地裁ではこの請求は認められなかったが、第2審の高裁では、ハンバーガー店側の責任を認めつつ、賠償額については10万円と判断したというものです。記事によれば、この常連客は、従業員の女性らと複数回一緒に食事に出かけたことがあること、店長が謝罪していたこと、店員らがストーカーと呼んでいたことはまだ外部には広まっていなかったことが認定されているようですので、そもそも、不法行為責任が認められるのか、かなり微妙な案件だったようです。
 

ただ、私がこの判決を見て、ちょっと嫌な感じがするのは、裁判所は、ハンバーガー店の責任を認めてこの常連客(原告)を満足させるとともに、損害額としては10万円しか認めないでモスバーガー(被告)を満足させ、双方にイイ顔をしようとしたのではないかと邪推してしまうからです。(もちろん高裁の判決ですので、そんなことはないとは思いますが・・・)。

この双方にイイ顔をしようとするような判決のことを、以前流行った言い方を真似て「エエ格好シー判決」と呼びたいと思います。

実は、これはエエ格好シー判決なのではないか?とうい判決は、実務では散見されるところです。

弊法律事務所でも、最近、「えっ、これはエエ格好シーでは?」という判決をいただきました(もちろん、私たちの訴訟活動に問題があったのでは?と言われると、そうなのかもしれませんが・・・)

 

このような双方にエエ格好シーするような判決が可能となる背景には、

 

1)我が国における精神的損害の賠償金額があまりに低いこと(責任を認めつつ、賠償額を低くできる)

 

2)民事判決における事実認定が、我が国にディスカバリー(相手方に証拠を開示させる制度)が無い事などにより、かなりアバウトであり、筋で決まる(即ち、どちらのストーリーがより自然かで決まる)ような面がなきにしもあらずであること(あってはならないことですし、ないとは信じています。)

 

3)あまり白黒をはっきりつけたくない国民性が裁判官の意識に影響を与えていること(つまり、判決で、白黒はっきりつけるよりも、判決であっても、落としどころを見据えて和解的に解決したいという意識になってしまう)

 

があるように思います。

 

しかし、双方にイイ格好をしようとする判決には次のような問題があります。

 

1)まず、本件の常連客(原告)の立場を考えてみると、本件は高裁まで争ったということは、少なくとも、訴え提起から2年以上は経過しているはずです。弁護士を雇っていたのであれば、(請求金額が500万円なので)着手金で30~40万円くらいは払っている案件です(控訴の際に追加で払っていることもあり得る。)。したがって、損害額としては10万円しか認めなかったこの判決は、実質的には、「今回は頑張ったから相手の責任を認めてあげるけど、もう二度と裁判所にこの種の案件をもちこまないように。」と言っているのと同じだと思います。

 

2)次に、ハンバーガー店側(被告)からすれば、訴訟になる前に、店側の謝罪があったとのことですから、求めていたのは、常連客が請求してきた金額(裁判では500万円)を支払わなけばならないほどの責任があるのかということでしょう。理論的には、責任論と損害論が分けられるとしても、当事者の交渉では一体として行われるので、ハンバーガー店側としては、常連客が言うほどお金を払う責任があるのかを判断してもらいたいときに、10万円払う責任はあると言われても、何となくもやもや感が残る判決になってしまうのではないでしょうか。

 

3)さらに一般予防的な観点からもこの種の判決は良くないと思います。どうせ裁判をして、責任を認めさせても10万円くらいしか認められないということになると、本当に権利を侵害された人が泣き寝入りをせざるを得ない事態になりますし、その結果、この泣き寝入りのドロドロとしたエネルギーは、裁判所外での実力行使等を使っての解決の方向に向かうことになるでしょう。

 

この問題には、(前述のとおり)精神的損害の賠償金額が著しく低いという問題や、民事裁判における事実認定の問題、弁護士側の主張の仕方の問題、我が国の国民性など、いろいろな問題が絡み合っていますし、個々の案件の特性がありますので、一般論としては言いにくい面もありますが、しかし、しかし、私としては、いったん裁判になって、和解を試みたけど、駄目だったという場合には、裁判所には、(当事者に対する変な配慮は不要で)きっぱりした判決を期待したいですね。