準備書面の作成になかなか手が付けられず、ついつい締切り日の前日に徹夜してしまう。しかし、その時は類まれな集中力を発揮して、けっこう満足いくような書面ができる。しかし、実は、翌日にも締切日が迫った準備書面があり、その書面は事前にリサーチが必要な書面で散々の出来。さらに、翌々日には、リサーチのメモを書かなければならないのだが、もう体力も集中力も残っていない。書面の作成以外の仕事はどんどんたまっていくし、家族と一緒に過ごす時間もなくなっていく。もう直前に迫った仕事の火消しに追われ、そのほかのことは何も考えられなくなる。

弁護士であれば、このような負のスパイラルに嵌ることが誰でもあるように思うのですが、どうしてこんなことが起こるのでしょう?この本によれば、それは、人間は「欠乏状態」に置かれると、その欠乏のリカバリーが最優先事項となり、驚くべき集中力を発揮するのですが(欠乏ボーナス)、その優先事項の範囲にない(トンネルの外にある)事項については見えなくなり、しかも、トンネルの外の事項の処理能力(判断能力)は劣っているからなのです。この「処理能力が劣ってしまう」という点について、この本の卓抜した比喩に従うと、他のことの処理で目いっぱいのCPUに、他のことを処理させるようなものとのことなのです。

欠乏には、上記の時間の欠乏のほかに、お金の欠乏、食べ物の欠乏(ダイエット中)、愛の欠乏(孤独な人)、労働力の欠乏(ソフト開発等)と色々あるのですが、この本のすごいところは、その欠乏状態に統一した理論を、実験や調査により科学的に打ち立てようとしているところです。貧乏人は、子供の教育に熱心でなかったり、生活がだらしなくなってしまったり、処方された薬をきちんと服用しなかったりする傾向があるのですが(調査により明らかになっている。もちろん一般的な傾向で、そうでない人もいます。)、何故そうなるのかというと、そもそも彼らがだらしがないからではなく、人間だれでも資金繰りのことを心配しているような状態に置かれると、その他のことの処理能力や適切な判断能力が落ちるからだったのです。常に目先の資金繰りが優先してしまうので、長期的なことを考えて、消費者金融には手を出さない、ということができなくなってしまうし、中には生活保護の申請のための書面作成にも手がつけられないというようなことが起きます。

では、そのような欠乏状態にあるときにはどうしたらそれを脱することができるのか?この本は、個人の欠乏状態みならず、人手が足りず、仕事がうまくまわらない会社の欠乏状態(法律事務所・ソフト開発会社などが典型的ですね)の解消にも有益な手がかりを与えてくれます。社会福祉・医療制度の設計にも重要な示唆があります。
とてもまじめな本です。欠乏状態にある人にはお勧めします。