この本は、心理学の世界で有名なマシュマロ・テストを行った学者が書いたものだ。

えっ!「マシュマロ・テスト」を知らないですって? マシュマロ・テストとは、1968年から1974年まで、スタンフォード大学のビング保育園で園児を対象にして行われた実験のことだ。研究者と園児が2人だけで部屋で遊んでいて、テーブルの上においしそうなマシュマロを置いておき、研究者が、「もし自分が戻るまでマシュマロを食べるのを我慢できたら、マシュマロを2つあげる。」と言って部屋を出る。園児がマシュマロの誘惑に負けず、マシュマロをみないようにしたり、他のおもちゃで気をそらしたりする姿はとても微笑ましく、YouTubeでもその様子が見られるという。この実験は、当初、園児がマシュマロの誘惑を我慢できるか?我慢する場合にはどのようにして我慢するのか?を調査するための実験たったのであるが、その後、20年、40年の追跡調査の結果、マシュマロを我慢できたことと、その後の学歴、年収、社会的地位などに強い相関関係があることが分かった。つまり、子供のときに、マシュマロを我慢できる能力があるかどうかが、その後の人生の成功を決めるというふうに考えられたのだ。

 

そして、現在では、この実験と脳科学が結びつく。マシュマロに象徴される誘惑(欲求)に負けるときは、人間の進化の過程の初期に形成された扁桃体という脳の部分の活動が盛んになり、他方、マシュマロの誘惑に負けず、自分の欲求を先延ばしにしているときは、人間の進化の過程の後期に形成された前頭前皮質の部分の活動が盛んになっているという。この本では、前者を脳のホットシステム、後者を脳のクールシステムと呼ぶ。

 

しかし、これくらいの話であれば、ノーベル賞を受賞した行動経済学のダニエル・カーネマンのファスト思考、スロー思考と同じだし、最近の心理学の本では、度々出てくる話だ。「なんだ、成功するか否かは生まれつきの脳の構成や能力によるのであって、結局は、遺伝かよ!」ということになりそうである。

 

ところが、この本は違うのだ。自分の欲望を先延ばしする能力はスキルとしての面もあり、一定の対処法を知ることにより、誰でも自制が可能になるという。また、人間の脳には可塑性があり、自制のスキルを身に着けたり、瞑想を行ったり、その他の方法により、前頭前皮質の働きをよくすることができるという。環境と遺伝との間の相互作用(お互いに影響しあう関係)は、以前考えていた以上に強く、人間は、自分の意思により、前頭前皮質の働きを強化することができる。つまり、人間は変われるのだという。これを、数々の実験を紹介して、科学的に説明してくれる。あ~、なんてすばらしい結論なのだ。

 

この本の中で、私の興味をとりわけ引いたのは、人はどんなことがあったときに、(クールシステムによる自制がきかないくらい)ホットシステムが発動してしまうのか?というトピックを扱った箇所だ。研究者たちは、日本でいえば少年院のようなところに集められた少年たちを長期にわたって観察する。そして導き出した結論は、ホットシステムが発動するポイントは人によって違うということだ。ある子は、大人に褒められると、なぜかホットシステムが発動し、怒りだす。またある子は、同世代の友達に褒められると怒り出すという。そういえば、映画「バック・ツゥー・ザ・フィーチャー」のマーティは、仲間から「チキン野郎」と言われると、前後の見境もないほど怒り出していた。

 

さらに、ホットステムの発動は、状況によっても左右され、ある状況ではクールシステムが働く人でも、別の状況ではホットシステムが発動してしまうことがあるという。このことは、一般に誠実だと思われている人が、ときに、どうしてこんなことをするの?というような不誠実な行動をとってしまうことを説明する。クリントン大統領は、大統領としての執務中は誠実だったが、部屋で若い女性の実習生と一緒のときは、ホットシステムが働いてしまった。タイガーウッズもゴルフ場ではクールシステムの男だったが、バーではホットシステムが働くのを自制できなかった。

最近起こった大分の放火事件は、父親が自分の家に放火して、妻と子供3人が死亡するという悲惨な事件であったが、放火前に、家族間で言い争いがあったようなので、何かが父親のホットシステムを発動させてしまったのではないだろうか(もちろん、裁判では、ホットシステムなどといっても、「情状酌量の余地はない。」と言われるでしょうが・・・)。

 

で、このホットシステムを作動させないようにするためには、自分のホットシステムがどのようなときに発動してしまうのかを事前に把握して、「If, then」プログラムを準備しておくのが良いらしい。これは、「もしこういうことが起きたら、こうする。」ということを事前に決めておくという方法だ。例えば、「新幹線に乗ると、どんなに直前に食事をしていたとしても、駅弁が食べたくなる」というホットシステムが作動する人は、「新幹線にのったら、ひたすら小説を読む。」と事前のプログラムを作っておけば、ホットシステムの発動をある程度は抑止できるようだ。今度、新幹線に乗るときに試してみようと思う。

 

その他、ホットシステムの作動を抑制するためのスキルを知りたい人には、この本を是非おすすめします。遺伝が全てではないというこことがわかりますので、希望がもてますよ。