金融・商事判例2015815日号(No.1472)の冒頭「金融商事の目」の角紀代恵立教大学法学部教授の「債権法改正-立ち止まる勇気」というコラムはとても読み応えがあった。

同教授は、民法改正案のうち、強行法規または強行法規的に機能する規定について、「理論的な側面だけではなく、社会に与える影響も慎重に見極める必要がある。」とし、一例として、第三者保証の問題を挙げる。

民法改正案が作成される過程では、一時期、第三者保証を廃止する方向に傾いた旨の報道がされていたが、最終的に、公正証書化することを条件に認められることになった。このことについて角教授は、


改正案は、公正証書の作成というハードルが、第三者保証の歯止めになると考えたのだろう。しかし、公正証書を作成するために公証役場に行くのは、融資が決まってからである。保証人になろうとする者が、公正証書の作成を拒否すれば、融資話はご破算になってしまう。このような状況下で公正証書の作成を拒否できる人は、いったい何人いるだろうか。さらに、債権者としては、せっかく、保証人となろうとする人を公証役場に連れて行ったのだからと、同人が保証債務を履行する意思を表示した公正証書を作成したら、ただちに、強制執行認諾文言付保証契約書を作成する可能性が大である。これでは、保証人の保護は、現行法よりも後退してしまうおそれすらある。


と述べ、さらに、


〔金融庁の「中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針」や、全銀協及び日商の「経営者保証に関するガイドライン」などにより〕政府が挙げて、保証に頼らない融資慣行の確立を目指している中にあって、明文をもって、経営者保証、第三者保証ともに、正面から、その有効性を認める改正案は、果たして、妥当であろうか。個人保証の問題は、例えば、新事業の創出の阻害要因となりかねないなど、国家の産業政策、さらには、成長力にも直結するきわめて政策的な問題である。


と批判し、


民法が制定されてから120年、債権法改正は、避けては通れないが、急を要する課題ではない。改正案の内容でいいのか、今一度、立ち止まって再考する勇気が必要ではないだろうか。


と結ぶのである。

私としては、角教授と同様に、最終的に第三者保証が(公正証書化を条件にするとはいえ)制度として残ってしまったことについては大変残念に思っている。
そもそもある種の人には、他人に頼まれると、リスクに対する合理的な判断が働かなくなる傾向があり、第三者保証は、この人間の弱さを利用した制度という言う意味であまり良い制度とは思えない。だから昔から第三者保証に関するトラブルは多いし、「保証人にはなるな!」が家訓になっている家すらある。少なくとも、保証会社等がビジネスで行う場合以外は、第三者保証は認めるべきではないように思うのだ。

ただ、公正証書化が第三者保証の歯止めにならないかといえば、そうは思わない。実務感覚として、公正証書化のコスト負担の問題があり、現状よりも、第三者保証が行われる機会はかなり減るように思う。公証人役場という公の機関を関与させることにより、悪質な債権者が排除される事実上の効果も期待できるであろう。今回の第三者保証に関する改正案は不十分ではあるが、何の制限もない現状よりはましで、一歩前進であるように思う。

民法改正全体についても、不十分かもしれないが、現状よりは一歩前進の改正が多い。
たがって、私は今必要なのは、「立ち止まる勇気」ではなく、「前に進む勇気」なのではないかと思うのだ。
今国会での民法改正案の成立に期待したい。