将棋界で将来を嘱望されながら、平成10年に29歳の若さで亡くなった村山聖(さとし)8段の人生を、小説風に生き生きと描いた本です。村山棋士や(村山棋士の師匠である)森信雄現7段と親しかった雑誌「将棋世界」の元編集長の大崎善生さんが、平成12年に書いた本ですが、その後も息長く読まれて、来年には角川映画で映画化されるそうです。
村山棋士は、幼い時から腎ネフローゼという病気を患っていました。
腎ネフローゼというのは、疲労や発熱が誘因となって起こる腎臓の機能障害で、これが発病すると、腎臓でタンパク質を血液中に取り込めなくなり、血液中のタンパク濃度が薄れ、水分が各細胞に流出して、顔や手足が異様にむくむそうです。最悪のケースでは、肺に水分が流れ込んで、呼吸困難で死亡するとのこと。また、タンパク質は細胞の基盤なので、それが不足することにより、免疫細胞の供給が減少し、抵抗力が低下して、ちょっとしたことで高熱を発しやすくなるとのことです。
村山棋士は、幼いころネフォローゼを発症し、入退院を繰り返し、小学2年生から5年生までは親元から離れ、診療所が併設された宿泊施設付きの養護学校で過ごしていました。そのような環境で、将棋に夢中になり、養護学校では適当な相手もいないので、本で将棋を独学するようになります。そして、中学1年生のときに、「谷川(名人)を倒すにはいま行くしかない」と言って、大阪の森信雄棋士に師匠になってもらい、(大人の事情から1年間奨励会入りが遅れましたが)地元の広島から大阪に出てきます。以後、14歳で奨励会に入所、17歳でプロデビュー、23歳で王将戦挑戦者(谷川王将にストレート負け)、26歳でA級昇進と順調な歩みをみせていましたが、その後膀胱癌に侵され、摘出手術後にいったん復帰したものの、ほどなく癌の転移が見つかり、29歳の若さで急逝してしまいました。
私は昔からの将棋ファンなので、村山棋士のことは現役のころから知っていましたが、ただ、それほど詳しいストーリーは知らなかったのです。この本で村山棋士のことがよくわかって、今さらながらですが、とても親しみがわきました。
一般には感動的な本として知られているのですが、読みながら涙がボロボロ流れるという本ではないと思います。村山棋士の良い面も悪い面もありのままに書いたという感じで、そこがこの本の魅力だと思います。
村山棋士の対局後の体の状況は本当に壮絶だなと思いました。対局で体力を使い果たし、やっとのことでアパートに帰り、その後1人で2~3日寝込んで、じっと体力の回復を待つ。自分でもこのまま死んでしまうのではないかと思ったときもあるといい、わざと水道の蛇口を水がポタポタ落ちるようにしておいて、その音で自分がまだ生きているかを確認したという場面もでてきます。そのような体調だったのに、あとちょっとで名人を狙えるA級まで上り詰めて、すごい人でした。さぞ29歳での急逝は無念だったでしょう。
村山棋聖は、昭和44年生まれで、羽生名人とは同い年。将棋界では羽生世代と言われている羽生、森内、佐藤、郷田棋士らがいまだバリバリに活躍しています。村山棋士ももし生きていたなら、間違いなくその一翼を担っていたはずです。
実は、私も昭和43年生まれで、将棋界でいうと羽生世代です。羽生世代の活躍は、同世代としてとても心強い。一般社会では、我々の世代はいよいよこれからが本番です。羽生世代の力を見せなければなりませんね。