最近、ちょっと残念だな、と考えさせられる判決がありました。
案件としては、(判決からは正確にはわからないのですが)大学の教授または研究者の夫と、公務員として働きながら大学院にも進学するような向上心溢れる妻の離婚の話なのですが、ともにプライドが高く、ことあるごとに衝突して、別居に発展。その過程で、妻が、当時、2歳4か月の長女を夫に無断で実家に連れ帰り、以後、5年10か月間、はじめの方に6回娘にあわせただけで、その後は、夫が娘に会うのを拒否し続けたという案件です。
この案件では、婚姻関係が破たんしていことは明らかですので、離婚自体は認められるのですが、問題は、娘の親権者を誰にするか?です。
原審の千葉家庭裁判所松戸支部は、夫が妻に対し100日程度娘に会うことを保障する計画を提出していることを重視して、親権者を夫にすることを認め、妻に対して長女を夫に引き渡すように命じました。相手に100日の面会権を認めるから、自分を親権者にしてください、というのは従来なかった非常に進歩的な主張であり、この判決も画期的だったのです。
これに対し、東京高等裁判所は、「長女は妻のもとで安定した生活をしており、健康で順調に生育し、母子関係に特段の問題もなく、通学している小学校にも適応している」とか「年間100日の面会は長女の負担になる」などといって、妻を親権者にするのが適当だと判決したのです。夫の面会権については判示していませんが、妻側は、月1回(年12回か?)などと主張しておりました。
で、最高裁はどのような判断をしたかというと、(私にとっては)残念ながら、二審の東京高裁の判決を支持して、夫の上告を退けたのです。
私は、一審の松戸支部判決も、二審の東京高裁判決も読んでみましたが、松戸支部判決の方がはるかに説得力があるように思いました。
東京高裁判決の看過できないのは次の点。
1.妻が長女を連れ去ったことや、夫と長女との面会を長い間認めなかったことを、別居した当初、夫が仕事に忙しく長女の看護を委ねるのが困難だったからとか、結婚関係が破たんに瀕していて話し合うことも困難だったからとか、夫がマスメディアに娘との面会が認められないことを報道してもらおうとしていたから、等といって正当化しようとしているように思われる点。(ハーグ条約の観点からすると、こんなこと言っていたら怒られますよ。)
2.年間100日間の面会交流について、妻宅と夫宅の往復で長女の身体に負担が生じるとか、学校行事への参加、学校や近所の友達との交流に支障が生じるおそれがあり、必ずしも長女の健全な育成にとって利益になるとは限らないとかと言っている点。(欧米では、これくらいの面接交渉の日数は珍しくないでしょう。例えば、Week Daysは妻宅、Week Endは夫宅などというのは良くある話です。)
3.逆に、月1回の面接交流について「当初はこの程度の頻度で面会交流を再開することが長女の健全な育成にとって不十分であり長女の利益を害するとは認めるに足りる証拠ない。」などといっている点(逆に、月1回で十分という証拠はあるのか聞きたい。東京高裁の裁判官は、自分の子供と月1回6時間程度しか会えなくて、それで良いと考えているのかしら?)
私が最も嫌なのは、東京高裁判決は、配偶者の一方が無断で子供を連れ去って、子育ての最も重要な時期に、長年、他方に会わせないという非常に残酷なことをしているのに、むしろ、それをして既得権益を積み上げていった方が良い結果がでるという「やり勝ち」を奨励する結論になっていることです。
でも、こういう「やり勝ち」を許していたら、なんで司法があるの?ということになると思うのですが、そうではないのですかね(悩みます。)