フィギュアスケートの2010年バンクーバー冬季五輪男子代表の織田信成氏が、1118日に、9月に関西大学アイススケート部の監督を辞任したのは、同大学所属の女性コーチによるハラスメント行為が原因だったとして、同コーチに対して1100万円の慰謝料などを求め大阪地裁に提訴したというニュースがありました。
(産経新聞:https://www.sankei.com/affairs/news/191118/afr1911180018-n1.html

 

今回のハラスメントはモラルハラスメント(道徳による精神的な暴力や、言葉や態度による嫌がらせ)だったと言っているメディアもありますが、昨今ハラスメントの種類が多くなり意味が分かりにくくなってきていますし、結局パワーハラスメントで整理できる事案が多いと思います。
訴訟内容が分からないので、確実とはいえないですが、いわゆるパワハラ規制法も成立したことですし、今回もおそらく伝統的なパワーハラスメントの類型に従って訴訟提起していると予想されます。

 

パワーハラスメントは、加害者が、優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行うことが前提ですが、必ずしも上司から部下に行われるものに限らず、先輩後輩間、同僚間、さらには部下から上司に対する行為なども、優位性が背景にあれば成立し得ます。
監督とコーチの身分による力関係は分かりませんが、少なくとも今回の女性コーチは、30歳近く織田氏よりも歳が上で、指導者としてのキャリアも長いので、少なくともある程度は優越的な立場にあったのではないでしょうか。

 

弁護士がパワーハラスメントを理由に訴訟を提起する場合には、加害者本人だけでなく、使用者責任(民法715条)を理由に使用者(会社等)も訴えるのが一般的です。個人だと支払能力が心配なので、使用者も巻き込むことで支払能力を確保するというのがその理由です。もっとも、記事だけでは分かりませんが、今回の女性コーチは有名な方で支払能力について心配はなさそうであることと、織田氏の「フィギュアスケート界の悪弊へ一石を投じる思いで提訴に至った」というコメントからすれば(お金目的とは思われない)、今回の訴訟の被告は女性コーチだけで、大学(使用者)は被告に含めていないのかもしれません。

 

今回の織田氏の請求金額は1100万円。
パワーハラスメントで訴訟提起する場合の損害の一般的な内訳は、①治療費、②慰謝料、③休業損害、④逸失利益、⑤弁護士費用です。
実務慣行として弁護士費用(⑤)は損害額の1割程度なので、100万円が弁護士費用、今回織田氏は辞任しているので休業損害(③)ではなく逸失利益(④)の請求になるでしょう。今回のケースは、パワーハラスメントで傷害を負ったとか精神疾患に罹患したというわけではないので、治療費(①)や慰謝料(②)があまり高額にはならないと予想されますので、逸失利益(④)が主戦場でしょう。

 

逸失利益は、パワーハラスメントによって退職のやむなきに至った場合、仮に退職していなければ得られたはずの収入をいいます。
裁判例では、9か月~1年の期間が認められる傾向にあるので、今回、1年分の請求をしたと考えられ、そうすると、織田氏の監督としての報酬は、1年で1000万円弱だったのかなと下世話ながら予想してしまいます。

 

パワーハラスメントが認められるか否かは、適正な業務指導の範囲内だったのか?ということが主題になり、適正な業務指導の中身は、職場ごとで変わります。
事務仕事が主な職場と、生命のために一分一秒を争う医療現場を比較すると、後者の現場のほうが、業務指導の内容が厳しくなってしまうことも実務上許容されますし、一般的な感覚からしても違和感はないと思います。

 

今回は世界を目指す運動部の指導者間の出来事であり、その指導結果に対して日本中が注目していることも考えれば、当然ながら各指導者は相当熱意をもって指導しているでしょうから、今回の指導方針をめぐった対立は、通常よりも「適正な業務指導の範囲」を広げて裁判所は判断するのではないかと思います。そうすると、原告側としてはなかなか難しい裁判のようにも思います。

 

とはいえ、織田氏の言うように本当にフィギュアスケート界に「悪弊」があるというのであれば、今回の訴訟はそれに一石を投じるという意味で極めて重要なものになると思います。
今後もこの訴訟の行方に注目したいと思います。