報道によると、巨額の損失隠しが発覚したオリンパスで、4月20日に臨時株主総会が開催され、旧経営陣11名が退任し、半数以上を社外出身者が占める新取締役11名が選任されたとのことです。
この総会には、この件について社内で追及しようとして解任されてしまった元社長のマイケル・ウッドフォード氏も株主として出席し、解任理由について質問したところ、係争中であることを理由に会社側から回答を拒否されたため、総会決議無効の訴えを提起する可能性を示唆する場面があったり、取引銀行出身の2名の新取締役については、外国のファンドが反対したようであり賛成票が6割台と他の取締役に比べて低かったりしたこと等があったようですが、一応、損失隠しとは切り離された新経営陣が選任されたことで、この問題は一段落したということになるかと思います。
ところで、ここに来て、この問題をFACTAでいち早く取り上げて、問題発覚のきっかけを作ったジャーナリストの山口義正氏が『サムライと愚か者 暗闘 オリンパス事件』(講談社)という本を出し、また、ウッドフォード氏自身も『解任』(早川書房)という回想録を出しましたので、興味に駆られて読んでみました。
この2つの本から、私が関心を持った点は次のとおりです。
- ウッドフォード氏は21歳のときにオリンパス医療事業の英国代理店キーメッド社に入社し、以来、オリンパスに30年間仕えたいわば叩き上げの社長であったこと。
- ウッドフォード氏は猪突猛進型で、社員に要求するレベルは高く、キーメッド社で社長をしていたときには、社員に会社から30キロ以内に住むことを求め、社員が電話を取る秒数を計り、どんな田舎の客であってもトラブルの電話があれば24時間以内に対応させていたこと(オリンパスの子会社とはいえ、日本の会社のようだ。)。
- ウッドフォード氏は、14歳のころ交通事故を目撃し、事故の原因が信号機をよく見えるようにする等の簡単な工夫により取り除くことが可能であることに気づき、長年、交通安全のボランティア活動に関わり、英国王室から叙勲を受けていること(エピソードとして、来日時に、偶然赤坂高校前横断歩道付近を自動車で通りがかった際に、その箇所の危険性に気づき、自動車を止めさせて、その付近の写真を撮り、日本の警察当局に信号機設置を働きかけた活動が紹介されている。)。
- FACTA8月号でオリンパスの過去の合併の疑惑を指摘する記事が出ても、日本の他のマスコミは取り上げようとせず、オリンパス内でも相手にしなかったが、たまたまウッドフォード氏が知人と温泉旅行に行った際に、電車の中で記事を翻訳して聞かせたため、ウッドフォード氏が社内に不正があるのではないかと思ってこの問題の追及を始めたこと。
- 昨年10月に代表取締役を解任された後、昨年12月1日に取締役を辞任した際には、何らかのスポンサーがいたわけではなく、支援者としても、オリンパスの元専務の宮田耕治氏と友人のミラー和空氏が中心であったこと。
- 委任状争奪戦を真剣に考えて、金融機関に接触したり、宮田氏や和空氏が中心になって「オリンパス・グラスルーツ」というサイトを立ち上げて、オリンパス従業員に署名を呼びかけ得たり、ニコニコ動画に出演したりして、それなりの手ごたえを得たが、最終的に、日本の大株主や金融機関の支持が得られず、家族のこともあって委任状争奪戦は断念したこと。
- イギリスでは、『フィナンシャル・タイムズ』誌が選ぶ「ボールドネス・イン・ビジネス・アワード」賞を受賞したり、イギリスの全国紙4紙から「今年の人」又は「今年のビジネスパーソン」に選ばれたこと。
これらの本を読んでみて、一番感じたことは、今回の件では、正義はウッドフォード氏にあり、本来であれば英雄として扱われても良いくらいなのに、どうして、我が国ではウッドフォード氏に対し支持が集まらなかったのか?(少なくとも、委任状争奪戦を戦えると彼に思わせる程の支持が集まらなかったのか?)
そして、結果として、彼がオリンパスから排除される残念な形になってしまったのは何故か?という点です。
2つ理由があると思います(ここからは私の単なる感想なので、あたっているかは保証の限りではありません。)。
1つは、我が国の国民性というべきものです。
ウッドフォード氏は、委任状闘争を断念する際に、山口義正氏に、「日本人はなぜサムライとイディオット(愚か者)がこうも極端に分かれてしまうのか。」と感情を込めて尋ねたとのことなのですが、この不思議な国民性が30年以上も日本企業と付き合っていながら理解しがたい点なのでしょう。
日本人論の古典ともいうべき山本七平氏の「『空気』の研究」(文春文庫)の中で、日本人の情況の考え方の基本として、論語の次の言葉が重要な位置を占めているとしています(同書130頁)。
葉公、孔子ニ語リテ曰ク、吾ガ党ニ躬ヲ直クスル者アリ。其ノ父、羊ヲ攘ム。而ウシテ子之ヲ証ス。孔子曰ク、吾ガ党ノ直キ者ハ是レニ異ナリ。父ハ子ノ為ニ隠シ、子ハ父ノ為ニ隠ス。直キコト其ノ中ニ在リ。
(葉公が孔子にこう言った。「われわれの村に正直一方の者がおります。父親が羊を盗んだところ、子が証言して有罪になりました。」ところが、孔子はこう言った。「我々の村の正直者は、それとは違う。父は子のために隠し、子は父のために隠す。直きことはその中にある。」)
山本七平氏によると、孔子は、父子の関係について述べただけだったようなのですが、日本では、これが組織や社会にまで拡大して適用されるようになったとのことです。
実証研究なしの主張ではありますが、日本国民の一人として冷静に考えると、あてはまることが多いように感じます。日本では、法律的には悪くても、自分の属している組織や集団内の規範上は悪くなければ(悪いことであっても、組織の本体面を維持する等の何らかの必要性が存在すれば)、外部に対しては隠すことが正しいとされることがあるように感じます。そこでは、内部告発は悪いことであり、同時に切腹でもしなければ告発が義として認めらないようなところがあります。オリンパスの旧経営陣がウッドフォード氏解任の理由に挙げた「社長としての資質に問題がある」とは、このような価値観が背景にあるように思います。
(ただ、これは日本の国民性の持つ負の側面であると思いますので、克服されなければなりません。そうしなければ、法律の存在や我々の存在の意味もなくなってしまいますね。)。
もう1つは、制度的な問題で、やはり何と言っても『株式の持ち合い』です。
今回も、日本の法人株主(金融機関を含む)などのいわゆる持ち合い株主の存在が、ウッドフォード氏に親和的でなかったという点が大きかったことは間違いないでしょう。
この点は、法的に、持ち合い株主の議決権行使を制限するというような立法的な対策も考えられますが(草野耕一著『会社法の正義』商事法務 2011年12月 72頁で立法論として提案されています。)、なかなかそこまではできないと思いますので、「事業会社が他企業の株式に投資する行為は(当該他企業の経営を支配し、あるいはこれに重要な影響を与える目的による投資を別とすれば)原則としてつねに経営者の行動原理に反する。」(前掲・草野70頁)という一般的認識を深めていただき、各企業の中で是正していってもらうしかないでしょう。
以上、いろいろと述べてきましたが、今回のオリンパスの危機管理対応が成功であったか否かは、5年後、10年後のオリンパスの姿に現れてくるのでしょう。これからも注目していきたいと思います。