カテゴリ: 書評

企業不動産法
小澤 英明
商事法務
2016-12-22



私の西村あさひ法律事務所時代に、大変お世話になった小澤英明先生が、今年(2017年)の1月に、商亊法務から『企業不動産法』という本を出しました。小澤先生といえば、知る人ぞ知る不動産分野の大家です。本の帯によると、「著者36年間の弁護士経験を詰め込んだ」ということですので、まさに待望の本です。

冒頭の「はじめに」によると、「本書は、企業が不動産を取得し、その使用収益を行うにあたって、また、売却するにあたって、さらには、土地を開発し建物を建築するにあたって、特に論点となりうる不動産法を解説することを目的としたものである。」とのこと。不動産に関する本というと、どうしても個人向けのものになりがちなのですが、それを企業の観点からまとめたもので、私のようなGeneral corporateをしている者にとっては嬉しい限りですね。

小澤先生の文章の特徴は、普通の法曹が書くような文章とは違って、とても論旨が明快で分かりやすいことだと思います。だいぶ前の本になってしまいましたが、西村あさひ法律事務所編の『M&A法大全』の中に、小澤先生が、M&A取引に関する不動産の論点についてまとめている章があるのですが、それが衝撃的にわかりやすくて、私にとっては本当に「目から鱗」でした。以来、私のバイブル的な本になっていますが、今回の「企業不動産法」も、そのような感動が味わえるではないかと読むのが楽しみです。きっとこのブログのネタ探しにも大いに役立つのではないかと思っています。

不動産に関する法務に興味のある方には是非ぜひ購入・一読をお勧めいたします。

群馬県太田市と栃木県足利市、この隣り合った半径10キロ圏内の地域で、1979年から1996年までの17年間に、犯行の手口が似通った次の5件の幼女誘拐殺害事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)が起きる。

1.1979年 栃木県足利市  MFちゃん  5

2.1984年 栃木県足利市  YHちゃん   5

3.1987年 群馬県尾島町  TOちゃん  8

4.1990年 栃木県足利市  MMちゃん   4歳

5.1996年 群馬県太田市  YMちゃん    4

このうち、4.のMMちゃんについては、幼稚園の送迎用バス運転手の菅家利和さん(当時45歳)が逮捕され、現場に残された精液のDNA型鑑定が決定的な証拠となり無期懲役となった。菅家さんは、1から3の事件についても自白をしていたから、起訴はされていないものの、世間的には1から4はすべて菅家さんがやったものというふうに思われていた(5については、遺体も発見されていないので別事件と思われていた。)。

 

ところが、菅家さんが17年間も刑務所で服役した後の2009年になって、菅家さんの再審請求に基づきもう一度、現代の進んだ技術のもとでDNA型の鑑定をしてみたら、現場に残された精液と菅家さんのDNA型が違っていたことが判明し、菅家さんは再審無罪となった。以上は、有名な足利冤罪事件であり、当時大々的に報道されたので、ご存知の方も多いだろう。

 

この本は、この足利冤罪事件の裏に何があったかを日本テレビの調査報道の記者の清水潔さんが書いたものだ。正確にいうと、何があったかを書いたというよりも、清水さんは、独自の取材により初めから菅家さんは冤罪だと気が付いて、日本テレビで冤罪キャンペーンを打つなどして、ほぼ当事者的に活動する。そして、菅家さんの再審無罪を勝ち取るだけではなく、なんと真犯人(「ルパン」似の男。以下「ルパン」という。)の存在まで突き止めて、その情報を検察・警察に流し、逮捕させようと尽力する。その中で、警察や検察の自己保身や、マスコミの捜査当局との癒着など様々な問題点が明るみになるのだ。

 

ノンフェクション物ではあるが、ミステリー小説のような面もあり(実際、ノンフェクションなのに、ミステリー賞も受賞している。)、読者にぐいぐい読ませる。下手な小説よりもよほど迫力もある。私はこの本の存在を知っていたのに、なぜこれまで読まなかったのか?と本当に後悔した。読んで絶対損のない本です。

ぜひぜひ一読をお勧めします。

 

(以下、ネタバレです。)

この本には、我々法曹に対する重大な問題提起を含んでいます。それは、清水記者が真犯人を突き止めて、犯人が現場に残したDNA型とルパンのDNA型が一致しているという証拠もあるのに、検察・検察が動かず、いまだにルパン似の男が裁かれもしないで毎日パチンコでもしながらのうのうと暮らしていることです。

それで良いのか?ということになります。良いわけありません。

 

ただ、問題は、はたして「犯人が現場に残したDNA型とルパンのDNA型が一致している」といえるのか?というところなのです。

 

清水さんの主張は次のとおりです。

菅家さんの足利冤罪事件の再審では、弁護側のDNA型判定(本田鑑定)と検察側のDNA

型鑑定(鈴木鑑定)が行われていて、本田鑑定によれば、被害者のMMちゃんのシャツ(犯人の精液が付着している。)からは、そもそも事件当初に科警研(科学警察研究所)が行ったDNA型鑑定で犯人のDNA型とされた18-30とは別のDNA型18-24が検出されており、その18-24とルパンのDNA型が合致する。だからルパンは真犯人なのだ、というのである。

これに対して検察側の見解は、信頼できるのは検察の依頼により行われた鈴木鑑定であり、鈴木鑑定では、18-24などというDNA型は出されておらず、したがって、真犯人のDNA型は科警研鑑定の18-30であり、ルパンの18-24とはDNA型において異なる(つまりルパンは真犯人ではない)、というのだ。

これに対しては、さらに清水記者の反論があり、科警研の当初鑑定では、被害者(MMちゃん)のDNA型鑑定が行われていない。そこで、MMちゃんのへその緒からMMちゃんのDNA型鑑定をするとともに、MMちゃんと日ごろから接触していた母親のDNA型判定をしてみると、MMちゃんは18-31及び母親は30-31だった。つまり、科警研の当初の18-30というのは、このMMちゃんと母親のDNA型を掘り当ててしまった結果なのではないか?というのだ。

では、どっちの主張が正しいのか?

これは簡単なことで、まだMMちゃんのシャツ(真犯人の精液がついている。)が残っているので、最新の技術を使って、もう一度DNA型鑑定を行い、18-24が検出されるか確かめればよいのだ。本田鑑定と鈴木鑑定は、同じシャツといっても別々の箇所を資料としているので、本田鑑定で検出された18-24型が鈴木鑑定で検出されないことはあり得る。したがって、もう一度行ってみればよいだけのことなのだ。

しかし、そのシャツは現在検察が押収したままなのに、再鑑定は行われず、かつ、MMちゃんの母親に返却もされない。MMちゃんの母親が返却を要請しても、「MMちゃんの父親(妻とは離婚している。)が『検察がもっていてくれと。』と言っている。」との理由から、検察は返そうとしないのだという。そして、北関東幼女連続誘拐殺害事件の真犯人(ルパン)も逮捕しようとはしない。

このような事態について、清水記者は、もし、科警研が真実ちゃんや母親のDNA型を犯人のものと間違ったのであれば、科警研の信用は地に墜ち(きわめて初歩的なミス)、既に刑が執行されている福岡の飯塚事件などの他の事件にも波及する可能性があるから、検察、警察、科警研にとっては絶対に認められない一線であり、北関東幼女連続誘拐殺害事件の真犯人を逮捕するよりも、検察、警察、科警研の信用を守る方が重要だと判断しているのだと推測している。

 

で、実際のところはどうなのでしょう?

 

私は、自分も含め、あらゆる人はボジション・トークを免れないと思っています。弁護士という職業柄、ポジショントークであることすら気が付かず、心の底から嘘を真実と思って主張されている方にもときどき出会います。過去の警察や検察の不祥事のときに、警察や検察が組織防衛に走ったことも知っています。だから、清水記者の推測にも一理あるとは思うのです。

 

ただ、本当にそうなのかな?本当にそうだとすると、法曹の一人としてあまりにも悲しすぎます。いやいや、過去の検察官による証拠偽造事件のときも、検察内部から隠ぺいを告発する声はあったので、そこまで腐ってはいないのではないかな(個人的に信頼できる検察官を知っていますしね。)。というわけで、検察・警察の関係者(現役は無理だろうから、OB等々)から、この清水記者の本に対する反論を出してもらいたい、というように思います。そうでないとこの本の内容が真実になってしまうような・・・

聖の青春 (角川文庫)
大崎 善生
KADOKAWA/角川書店
2015-06-20



将棋界で将来を嘱望されながら、平成10年に29歳の若さで亡くなった村山聖(さとし)8段の人生を、小説風に生き生きと描いた本です。村山棋士や(村山棋士の師匠である)森信雄現7段と親しかった雑誌「将棋世界」の元編集長の大崎善生さんが、平成12年に書いた本ですが、その後も息長く読まれて、来年には角川映画で映画化されるそうです。


村山棋士は、幼い時から腎ネフローゼという病気を患っていました。

腎ネフローゼというのは、疲労や発熱が誘因となって起こる腎臓の機能障害で、これが発病すると、腎臓でタンパク質を血液中に取り込めなくなり、血液中のタンパク濃度が薄れ、水分が各細胞に流出して、顔や手足が異様にむくむそうです。最悪のケースでは、肺に水分が流れ込んで、呼吸困難で死亡するとのこと。また、タンパク質は細胞の基盤なので、それが不足することにより、免疫細胞の供給が減少し、抵抗力が低下して、ちょっとしたことで高熱を発しやすくなるとのことです。


村山棋士は、幼いころネフォローゼを発症し、入退院を繰り返し、小学2年生から5年生までは親元から離れ、診療所が併設された宿泊施設付きの養護学校で過ごしていました。そのような環境で、将棋に夢中になり、養護学校では適当な相手もいないので、本で将棋を独学するようになります。そして、中学1年生のときに、「谷川(名人)を倒すにはいま行くしかない」と言って、大阪の森信雄棋士に師匠になってもらい、(大人の事情から1年間奨励会入りが遅れましたが)地元の広島から大阪に出てきます。以後、14歳で奨励会に入所、17歳でプロデビュー、23歳で王将戦挑戦者(谷川王将にストレート負け)、26歳でA級昇進と順調な歩みをみせていましたが、その後膀胱癌に侵され、摘出手術後にいったん復帰したものの、ほどなく癌の転移が見つかり、29歳の若さで急逝してしまいました。


私は昔からの将棋ファンなので、村山棋士のことは現役のころから知っていましたが、ただ、それほど詳しいストーリーは知らなかったのです。この本で村山棋士のことがよくわかって、今さらながらですが、とても親しみがわきました。
一般には感動的な本として知られているのですが、読みながら涙がボロボロ流れるという本ではないと思います。村山棋士の良い面も悪い面もありのままに書いたという感じで、そこがこの本の魅力だと思います。

村山棋士の対局後の体の状況は本当に壮絶だなと思いました。対局で体力を使い果たし、やっとのことでアパートに帰り、その後1人で2~3日寝込んで、じっと体力の回復を待つ。自分でもこのまま死んでしまうのではないかと思ったときもあるといい、わざと水道の蛇口を水がポタポタ落ちるようにしておいて、その音で自分がまだ生きているかを確認したという場面もでてきます。そのような体調だったのに、あとちょっとで名人を狙えるA級まで上り詰めて、すごい人でした。さぞ29歳での急逝は無念だったでしょう。

村山棋聖は、昭和44年生まれで、羽生名人とは同い年。将棋界では羽生世代と言われている羽生、森内、佐藤、郷田棋士らがいまだバリバリに活躍しています。村山棋士ももし生きていたなら、間違いなくその一翼を担っていたはずです。

実は、私も昭和43年生まれで、将棋界でいうと羽生世代です。羽生世代の活躍は、同世代としてとても心強い。一般社会では、我々の世代はいよいよこれからが本番です。羽生世代の力を見せなければなりませんね。




この本は、元衆議院議員で若手の有望株だった田村耕太郎さんの本です。

主要なメッセージは、会社組織の中などで、ライバルから足を引っ張られたり、嫉妬されたりしてなぜかうまくいかないことがあるが、間違っても「倍返し」とか「リベンジ」などと考えるな。そんなことしても、かえってまた恨みをかったり、自分の評判を下げるだけだから。それよりも、その時間とエネルギーをもっと建設的な方向に向けよう、というものです。おそらく今の社会に最もマッチした処世訓でしょう。

アホと戦いたくなったら、部屋の天井、空の上、宇宙とどんどん精神を幽体離脱
させて、自分を客観視すれば良い、というようなテクニックも紹介されています。

足の引っ張り合いや嫉妬の激しい政治家の世界にいたときの経験談も多く、とても説得的でした。文章もリズムがあって読みやすいです。

私は、組織の中で足を引っ張られたことも(少々)ありますが、正直に言うと、
他人に嫉妬する側にもいたこともありました。アホでしたね。

残りの人生はアホにならず、アホとは戦わず、頑張りましょう。





この本は、心理学の世界で有名なマシュマロ・テストを行った学者が書いたものだ。

えっ!「マシュマロ・テスト」を知らないですって? マシュマロ・テストとは、1968年から1974年まで、スタンフォード大学のビング保育園で園児を対象にして行われた実験のことだ。研究者と園児が2人だけで部屋で遊んでいて、テーブルの上においしそうなマシュマロを置いておき、研究者が、「もし自分が戻るまでマシュマロを食べるのを我慢できたら、マシュマロを2つあげる。」と言って部屋を出る。園児がマシュマロの誘惑に負けず、マシュマロをみないようにしたり、他のおもちゃで気をそらしたりする姿はとても微笑ましく、YouTubeでもその様子が見られるという。この実験は、当初、園児がマシュマロの誘惑を我慢できるか?我慢する場合にはどのようにして我慢するのか?を調査するための実験たったのであるが、その後、20年、40年の追跡調査の結果、マシュマロを我慢できたことと、その後の学歴、年収、社会的地位などに強い相関関係があることが分かった。つまり、子供のときに、マシュマロを我慢できる能力があるかどうかが、その後の人生の成功を決めるというふうに考えられたのだ。

 

そして、現在では、この実験と脳科学が結びつく。マシュマロに象徴される誘惑(欲求)に負けるときは、人間の進化の過程の初期に形成された扁桃体という脳の部分の活動が盛んになり、他方、マシュマロの誘惑に負けず、自分の欲求を先延ばしにしているときは、人間の進化の過程の後期に形成された前頭前皮質の部分の活動が盛んになっているという。この本では、前者を脳のホットシステム、後者を脳のクールシステムと呼ぶ。

 

しかし、これくらいの話であれば、ノーベル賞を受賞した行動経済学のダニエル・カーネマンのファスト思考、スロー思考と同じだし、最近の心理学の本では、度々出てくる話だ。「なんだ、成功するか否かは生まれつきの脳の構成や能力によるのであって、結局は、遺伝かよ!」ということになりそうである。

 

ところが、この本は違うのだ。自分の欲望を先延ばしする能力はスキルとしての面もあり、一定の対処法を知ることにより、誰でも自制が可能になるという。また、人間の脳には可塑性があり、自制のスキルを身に着けたり、瞑想を行ったり、その他の方法により、前頭前皮質の働きをよくすることができるという。環境と遺伝との間の相互作用(お互いに影響しあう関係)は、以前考えていた以上に強く、人間は、自分の意思により、前頭前皮質の働きを強化することができる。つまり、人間は変われるのだという。これを、数々の実験を紹介して、科学的に説明してくれる。あ~、なんてすばらしい結論なのだ。

 

この本の中で、私の興味をとりわけ引いたのは、人はどんなことがあったときに、(クールシステムによる自制がきかないくらい)ホットシステムが発動してしまうのか?というトピックを扱った箇所だ。研究者たちは、日本でいえば少年院のようなところに集められた少年たちを長期にわたって観察する。そして導き出した結論は、ホットシステムが発動するポイントは人によって違うということだ。ある子は、大人に褒められると、なぜかホットシステムが発動し、怒りだす。またある子は、同世代の友達に褒められると怒り出すという。そういえば、映画「バック・ツゥー・ザ・フィーチャー」のマーティは、仲間から「チキン野郎」と言われると、前後の見境もないほど怒り出していた。

 

さらに、ホットステムの発動は、状況によっても左右され、ある状況ではクールシステムが働く人でも、別の状況ではホットシステムが発動してしまうことがあるという。このことは、一般に誠実だと思われている人が、ときに、どうしてこんなことをするの?というような不誠実な行動をとってしまうことを説明する。クリントン大統領は、大統領としての執務中は誠実だったが、部屋で若い女性の実習生と一緒のときは、ホットシステムが働いてしまった。タイガーウッズもゴルフ場ではクールシステムの男だったが、バーではホットシステムが働くのを自制できなかった。

最近起こった大分の放火事件は、父親が自分の家に放火して、妻と子供3人が死亡するという悲惨な事件であったが、放火前に、家族間で言い争いがあったようなので、何かが父親のホットシステムを発動させてしまったのではないだろうか(もちろん、裁判では、ホットシステムなどといっても、「情状酌量の余地はない。」と言われるでしょうが・・・)。

 

で、このホットシステムを作動させないようにするためには、自分のホットシステムがどのようなときに発動してしまうのかを事前に把握して、「If, then」プログラムを準備しておくのが良いらしい。これは、「もしこういうことが起きたら、こうする。」ということを事前に決めておくという方法だ。例えば、「新幹線に乗ると、どんなに直前に食事をしていたとしても、駅弁が食べたくなる」というホットシステムが作動する人は、「新幹線にのったら、ひたすら小説を読む。」と事前のプログラムを作っておけば、ホットシステムの発動をある程度は抑止できるようだ。今度、新幹線に乗るときに試してみようと思う。

 

その他、ホットシステムの作動を抑制するためのスキルを知りたい人には、この本を是非おすすめします。遺伝が全てではないというこことがわかりますので、希望がもてますよ。




とある会合に行ったら、くじで当たった本です。著者のスペンサー・ジョンソンは、『チーズはどこに消えた?』で有名ですね。あの本では、外部環境が変化したら(チーズが消えたら)、どうして変化したのだ(なぜ消えたのだ?)などとつべこべ考えていないで、早く変化に対応して行動しろ!というのが著者のメッセージだと思いますが、この本でも、(外部環境の変化というところは出てきませんが)同じようなメッセージが伝えられています。すなわち、失敗した、成功した、または酷いことがあった過去についてくよくよ考えていたり、見通しがたたない将来についていたずらに不安がっていたりしてはダメだ!今日重要なこと、今日すべきことに集中して取り組め!つまり、過去や将来を過ごすのではなく、現在(Present)に生きろ!それが今日幸せになる秘訣だ。また、未来は今日したことの積み重ねだから、結果的に成功に至る道なのだ。っと。

わかっちゃいるけど、なかなか続かないですよね。でも、2週間ぐらいは頑張れるかな。

Be in the Present.  When you want to be happier and more effective, focus on what is Right now.  Respond to what is important today.


ルーシー・ブラックマン事件を覚えているだろうか?2000年7月に、元英国航空客室乗務員で、六本木の外人バーでホステスをしていたルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)が行方不明になり、しばらくして、Oという変わった性癖の人が逮捕され、その年の12月に三浦半島の洞窟でバラバラ死体になって発見されたあの事件のことだ。イギリスから父親と妹が来日して、何度も記者会見を開いて、ワイドショーなどで大々的に報道されたので、日本中が大騒ぎになった。

しかし、この事件がどんな事件だったのかと聞かれると、あまりよくは知らないのが実情ではないか。実は私もそうだった。当時、六本木とは目と鼻の先のアークヒルズで働いていたのに、六本木がどんな街なのかも知らなかった。

この本を読んで、この事件の背後に、様々な人間のドラマがあることを知った。

ルーシーさんはどんな女性だったのか?なぜ日本に来て、六本木でホステスをしていたのか?当時の六本木はどんなところだったのか? なぜこの事件は、当時のトニーブレア首相が森総理に善処をお願いするまでの大事件になったのか?Oはどのような家庭環境で育ち、どのような仕事をしていたのか?その財産状況は?その後の裁判の進捗、(後になってちょっと報道された)ルーシーさんの父親と母親の愛憎劇、ルーシーさんの喪失が、家族・友人に与えた影響等々、(このようにいっては本当に不謹慎だと思うけど)下手な映画や小説などより何倍もおもしろかった。

特に、父親のチィム・ブラックマンは興味深い人だと思った。驚くべき行動力を発揮して、この事件を、警視庁が威信をかけて捜査しなければならないものに仕立て上げたかと思うと、ルーシーさんだけに自分の生活が奪われるのは嫌だといって、クリスマスを再婚後の家族と海辺の街に旅行して過ごしたり、Oから提示された見舞金1億円を受けとって、ルーシー・ブラックマン基金の資金にしたり、(はてまた)ヨットを買って、航海に出かけたりと、あまり感情的にならず、前頭葉で考えるタイプの人というか、ちょっと我々にはない感覚(でも、見習うべきところが多々ある。)かもしれない。

弁護士としての職業の観点からいうと、イギリス人の目からみた日本の刑事司法や刑事裁判の問題点がよく描かれており、とても参考になった。日本語訳には、冒頭陳述のことが訴状と書かれていたりする等ちょっと専門用語の誤訳があるが、内容が面白いので、全然気にならない。やはり一番の問題は、1審判決が出るまでに6年もかかったことだろう。これは、裁判員制度導入により、大分改善されているようなので、とても良いことだと思う。

ここに出てくる登場人物は、どれも良いことばかりではなく、暗部も抱えていて、しかもそのことも隠さず書かれているところがこの本の凄いところだと思った。いろいろな人生を垣間見ることができる。

著者の視点を大胆に入れて、ところどころに、筆者も登場し、ミステリー調のストーリー展開にしているのも秀逸だ。とても優れたノンフィクションものです。元早稲田大学ルポルタージュ研究会の私が言うので間違いない。興味のある方は是非。




『星の王子さま』という物語は、一般にどのような物語として理解されているのでしょう?おそらく、①有名な星めぐりの箇所から子供の純粋な心から見た大人社会への批判の書として、また、②「大事なことは目に見えない」などと言って、毒ヘビに自らをかませて、バラの待つ小さな星に帰ってゆくところから、純愛物語として、理解されているのではないでしょうか?

 

しかし、私には、全然そのような物語とは感じられませんでした。王子さまは、バラ(我ままで、自分勝手で、意地悪な性格)を捨てて自分の星から逃げてきたのに、何をとち狂ったのか「バラに責任がある」などと言いだして、バラのもとに帰っていくストーリーは、心優しい男の悲しい物語(悲劇)としか思えなかったのです。バラのもとに帰っても、バラの性格は変えられないので、またもとの我まま、自分勝手、意地悪に悩まされるだけなのに、どうしてバラに対して責任を感じる必要があるのでしょう。

 

ところが、この度、安冨先生の『誰が星の王子さまを殺したのか』を読んだところ、もっと鋭い、深い理解があることを知りました。この物語は単なる優しい男の悲劇ではなかったのです。

 

簡単にいうと、安冨先生は、王子さまはバラからモラル・ハラスメントを受けていて、それが嫌で小さな星から逃げ出して、星めぐりのすえ、ようやく地球にやってきたときに、友達になったキツネからハラスメントの二次被害を受け、最終的に、バラについて「自分は責任がある」などと思わせられて、精神的に混乱して、自らを毒ヘビに噛ませて自殺した、というのです。

 

安冨先生によると、モラル・ハラスメントとは、単に、ひどいことを相手に言って精神的な暴力・虐待を加えることではありません。よく小さい子供に対して、親が、「自分が叱っているのはあなたが悪いからだ。あなたのために叱っているのだ。」などと言って、実は親が子供を虐待しているのに、子供(被害者)の方では自分が悪いと思い込んでいる場合のように、被害者側に悪いと思わせる特徴があるとのことです。ドメスティック・バイオレンス(DV)の場合は、肉体的な暴力・虐待が伴うので、モラル・ハラスメント(物理的でないハラスメントの意味。)ではありませんが、被害者(多くの場合は女性側)の心の中では、「相手が暴力をふるう原因の一端は自分にある。」などと思っており、また加害者(多くの場合は男性側)側もそのように思わせるような言動をしているということで、被害者側の心象としては、モラル・ハラスメントと同じことが多いらしいです。

また、モラル・ハラスメントのもう一つの特徴として、被害者自身にもモラル・ハラスメントを受けていることがわからないように巧妙に行われるというところがあり(ハラスメントの隠ぺい)、そのために、加害者側は、脅し、すかし、なだめ等々、さまざまな手段を使い、ときには「誰にもいっちゃだめ。」というふうに情報統制をすることがあるとのことなのです。

 

で、前述のとおり、安冨先生は、王子さまはバラからモラル・ハラスメントを受けていたというのですが、その論旨はかなり説得的です。

 

たしかに、王子さまは、「一輪の花があってね・・・ぼくが思うに、彼女はぼくを飼いならした・・」と言っており、王子さまがバラを飼いならしたとは言っていないのです。それなのに、キツネは、王子さまに、「本質的なものは何であれ、目には見えない。」、「きみのバラのためにきみが無駄にした時間のゆえに、きみのバラはそんなにも大切なんだ」とか、「きみは忘れてはならない。きみが飼いならしたものに対しては、きみは永遠に責任を負うことになる。きみは、きみのバラに責任がある・・」などと論理のすり替えをして話すのです。王子さまは、キツネの説教を聞いて、すっかり混乱して、「ぼくは、ぼくのバラに責任がある・・・」などと立ちすくむのです。

この描写について、安冨先生は、夫のDVで目の周りに痣を作って、必死の思いで警察に避難して来た女性が、警察官から、「目に見えるものは、本質ではない。」(夫の暴力の背後にある愛情を心で受け止めなさい。)とか「あなたが夫のために時間を無駄にすればするほど(殴られれば殴られるほど)、夫はあなたにとって大切になる。」などと言われているのと同じで、強烈なハラスメントの二次被害だ、というのです。

 

ところで、サン=テグジュペリ自身は、この物語をどういうつもりで書いたのでしょう?おそらく、この本でも書かれていますが、私も、彼自身は、モラル・ハラスメントのことなど何も意識しないで、子供の純粋な気持ちや、大事なものは目に見えない、というような価値観を強調したくて書いたのだと思います。ところが、(おそらく奥さんとの関係で悩んでいたとのことですので)そこに無意識的にモラル・ハラスメントの物語が隠れこんでしまった。そこがこの物語が傑作であるゆえんとのことです。

興味のある方は是非!


株式会社法 第6版
江頭 憲治郎
有斐閣
2015-05-01



このブログの読者であれば、すでにご存じの方が多いかと思いますが、江頭教授の『株式会社法第6版』が出ました。

同書の冒頭の「はしがき」によると、
「 会社法の平成26年改正に対応して本書の旧版(第5版)を昨年7月に公刊したが、その時には、改正に伴う法務省令が未成立であった。本年2月に改正法務省令が公布され、改正法が5月に施行されるので、今回の改正を行うことにした。周知のとおり、会社法の下では法務省令の定めに委ねられる事項が著しく増加している。
 また、旧版の刊行後、金乳商品取引法の改正も行われており、判例・学説・自主ルール等の進展もあったので、記述について全般的な見直しを行っている。」
とのことです。

たった6000円ちょっとで株式会社法の最高峰の知識がえられるのですから、実務家としては買わざるを得ないでしょう。

私は買いました。誰か読書会しましょう!




準備書面の作成になかなか手が付けられず、ついつい締切り日の前日に徹夜してしまう。しかし、その時は類まれな集中力を発揮して、けっこう満足いくような書面ができる。しかし、実は、翌日にも締切日が迫った準備書面があり、その書面は事前にリサーチが必要な書面で散々の出来。さらに、翌々日には、リサーチのメモを書かなければならないのだが、もう体力も集中力も残っていない。書面の作成以外の仕事はどんどんたまっていくし、家族と一緒に過ごす時間もなくなっていく。もう直前に迫った仕事の火消しに追われ、そのほかのことは何も考えられなくなる。

弁護士であれば、このような負のスパイラルに嵌ることが誰でもあるように思うのですが、どうしてこんなことが起こるのでしょう?この本によれば、それは、人間は「欠乏状態」に置かれると、その欠乏のリカバリーが最優先事項となり、驚くべき集中力を発揮するのですが(欠乏ボーナス)、その優先事項の範囲にない(トンネルの外にある)事項については見えなくなり、しかも、トンネルの外の事項の処理能力(判断能力)は劣っているからなのです。この「処理能力が劣ってしまう」という点について、この本の卓抜した比喩に従うと、他のことの処理で目いっぱいのCPUに、他のことを処理させるようなものとのことなのです。

欠乏には、上記の時間の欠乏のほかに、お金の欠乏、食べ物の欠乏(ダイエット中)、愛の欠乏(孤独な人)、労働力の欠乏(ソフト開発等)と色々あるのですが、この本のすごいところは、その欠乏状態に統一した理論を、実験や調査により科学的に打ち立てようとしているところです。貧乏人は、子供の教育に熱心でなかったり、生活がだらしなくなってしまったり、処方された薬をきちんと服用しなかったりする傾向があるのですが(調査により明らかになっている。もちろん一般的な傾向で、そうでない人もいます。)、何故そうなるのかというと、そもそも彼らがだらしがないからではなく、人間だれでも資金繰りのことを心配しているような状態に置かれると、その他のことの処理能力や適切な判断能力が落ちるからだったのです。常に目先の資金繰りが優先してしまうので、長期的なことを考えて、消費者金融には手を出さない、ということができなくなってしまうし、中には生活保護の申請のための書面作成にも手がつけられないというようなことが起きます。

では、そのような欠乏状態にあるときにはどうしたらそれを脱することができるのか?この本は、個人の欠乏状態みならず、人手が足りず、仕事がうまくまわらない会社の欠乏状態(法律事務所・ソフト開発会社などが典型的ですね)の解消にも有益な手がかりを与えてくれます。社会福祉・医療制度の設計にも重要な示唆があります。
とてもまじめな本です。欠乏状態にある人にはお勧めします。

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