カテゴリ: 知財法務


弁護士業界には、ちょっと前に過払い金バブルというものがあり、その後、①賃貸借契約における機関保証の普及により、建物明渡し請求バブルがくるのではないかとか、②サービズ残業事件の増加により、サービス残業バブルがくるのではないかとか、③さらには、金融円滑化法の廃止により、中小企業の自己破産バブルがくるのではないかとか、いろいろな噂があったのですが、いずれも、バブルというほどの波はきていません。

しかし、インターネットの発信者情報開示請求と、誹謗中傷記事の削除請求は、今後も増加していくのではないでしょうか。

(1014年10月27日の日経新聞朝刊38頁の記事から)

関係者によると東京地裁が09年に扱ったネット関係の仮処分は計33年で、仮処分申立総数の3%に満たなかった。しかし、10年に175件、11年に499件、12年は736年と増加。13年の711件は仮処分申立総数の40%近くを占めた。


ただ、東京地裁で年間711件にすぎないのであれば、バブルというにはちょっと少なすぎますね。

このほかに、(前々から言われていますが)高齢化社会や相続税法の改正を理由に、相続事件バブルや成年後見バブルが来るのではないかというような話もありますが、実際のところはどうなんでしょうね?
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東京地方裁判所が、グーグルに対し、検索結果の一部削除を命じる仮処分決定を出したことについては、このブログでも取り上げさせていただきましたが、昨日の日経新聞朝刊39頁に、グーグルが仮処分決定に従う方針を明らかにしたことが報道されています。

インターネット検索サイト「グーグル」に表示される不名誉な内容の投稿記事で日本人男性の人格権が侵害されているとして、東京地裁が検索結果の一部削除を命じた仮処分で、グーグル日本法人は22日、「裁判所の決定を尊重して仮処分命令に従う」として検索結果を削除する方針を明らかにした。


まぁ、当然の結果ですが、仮処分の相手方が(日本ではなく)米グーグルでしたので、日本の裁判所の決定に従うのか一抹の不安がありました。
ちょっとほっとしました。
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先日、東京地裁が、米グーグルの検索結果の削除を求めた仮処分を認めたことが大きく報道されましたが(このブログでも扱いました。)、今日の日経新聞朝刊17頁には、『グーグル検索結果の削除命令  記事タイトル・要約も対象  東京地裁、人格権に配慮』との見出しで、その解説記事が出ていますね。

申立側は、今年5月に欧州司法裁判所が、「忘れられる権利」を認めた判決を出したことを参考にしたとのこと。この欧州の判決は、スペイン人男性が10年以上前の社会保険料未納に関する記事のタイトルを検索結果から削除するようグーグルに求めたものですが、同社を「コンテンツのプロバイダー」と表現して、男性の申立を認めたようです。

申立側はこうした考え方を参考に「検索結果も記事そのものと同様のコンテンツ」(代理人の神田知宏弁護士)と判断。コンテンツを管理するグーグルには違法なコンテンツを削除する義務、つまり検索結果を削除する義務があると訴えた。忘れられる管理は「人格権侵害行為への差し止め請求権がそれに当たる」(同)として、日本にも同様の権利があるとの考え方にたった。


とても参考になりますね。

少々話題は異なりますが、私がちょっと注目してしまったのは、同記事の次の部分。

東京地裁が扱う損害回避のための仮処分事件の半数以上をネット関連事件が占める。〔中略〕欧州ではすでにグーグルに14万件を超える削除依頼が殺到している。


グーグルは、自主的に削除申請を受けつけているので、そうはならないとは思うのですが、なんとなく、弁護士業界の(過払金バブル後の)次なるバブルは、ネットの削除請求かもしれませんね。
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元日亜化学工業株式会社の技術者で、青色LED(発光ダイオード)の発明を行い、 現在は、アメリカのカリフォルニア大学教授の中村修二氏に2014年のノーベル物理学賞が贈られることになりました。

中村教授といえば、我々の世界では、日亜化学に対し職務発明の相当対価を求めた裁判で有名です。平成161月の東京地裁の第一審判決では、約600億円という巨額の相当対価が認定されましたが(ただし、一部しか請求していなかったので、判決としては200億円を支払え、というものです。)、2審の東京高裁では、裁判所からかなり強い和解勧告がなされ、最終的に、相当対価約6億円、遅延損害金約2億円の合計約8億円で和解になりました。
和解したとはいうものの、中村教授は、結論には大いに不満で、「日本の司法は腐っている。」と我が国の司法を批判しています。  


中村教授に関して私が思うのは次の2点。 

(
) すみません

前述のとおり、中村教授は我が国の司法に対する強烈な批判者ですが、私が「一番耳が痛い」と感じるのは次の言葉。

[
以下、日経ビジネスオンラインの2014年10月7日の小笠原啓氏の記事から中村教授の言葉を引用します。]

私は米国でも裁判を経験しているので、日本の裁判制度自体に非常に矛盾を感じるんですよ。
米国では証拠書類の開示が本当に徹底しています。相手側の弁護士が要求する書類を全部出さないとダメ。パソコンは全部押収されましたし、私が消したアダルト関連の迷惑メールまでチェックされるんですよ。
ところが日本では、そんなのないんです。今回の訴訟に関する証拠、私の研究ノートや特許書類は全部日亜化学が持っています。持ち出したら本当に企業秘密漏洩になりますからね(笑)。それを提出しろと言っても完全に無視。
しかも裁判所は何も言わない。そのくせ日亜化学側は、自分たちに有利な証拠書類だけを出してくる。
一方、こちらは記憶だけが頼りですからね。日亜化学側が提出した証拠書類に反論したり、我々に有利なことが書いてある部分を引用したりはできますが、十分とはいえない。こんな状況では対等な裁判なんてできませんよ。
だから日本では真実がよくわからないんですよ。そこで裁判長が「お前ら両方の主張はよくよく分からんから、わしが全部決める。落としどころの判決はこれじゃー」と言って終わり。封建制度そのままの、まさに裁判長の独壇場。江戸時代から全く変わっていない。 


日本の弁護士として言い訳させていただくと、アメリカには「ディスカバリー」という強力な証拠開示制度があるのに対し、日本にはそのような制度がないので仕方がない面がありますし、「封建制度そのまま」とは言い過ぎだろうと思うのです。
しかし、たしかに日本の民事裁判は、真実探究という点で遅れているところがあり、当事者からみると、不十分な証拠で、まだ事実関係が明らかになっていないのに、判断されてしまっているかのようなイメージあるのでしょう。
で、客観的な事実が明らかになっていないのに判断されていることが全くないかといえば、私は、民事裁判では、けっこうあるように思っています。前述のとおり、日本の場合、制度的に限界がありますが、しかし、真実が明らかになっていないのに判断されてしまうと思われることは司法制度としては致命的な欠点だと思います。
我が国の司法に携わるものとして、利用者に満足していただけるような制度になっていなくて、本当に恥ずかしい。 

() 優秀な技術者はアメリカに行った方がよいです

中村教授の相当対価が、どうして600億円から6億円になってしまったか?

東京地裁判決と東京高裁の和解勧告を見ると、一つには、中村教授の特許発明が日亜化学にもたらした(及びこれからもたらす)利益の考え方に違いがありますが、 もう一つには、この発明に対する中村教授及び日亜化学の貢献度をどう考えるかが大きく影響しています。

1審の東京地裁では、「被告会社においては青色LEDに関する技術情報の蓄積も、研究面において原告を指導ないし援助する人的スタッフもいない状況にあったなか、 原告は、独力で、全く独自の発想に基づいて本件特許発明を発明した」とか「中小企業の貧弱な環境の下で、従業員発明者が個人的能力と独創的な発想により、競業会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて、産業界待望の世界的発明をなしとげたという、職務発明としては全く稀有な事例である」とか認定して、中村教授の特許発明に対する貢献度を「少なくとも50%を下回らない」と認定しています。 

これに対し、2審の東京高裁の和解勧告では、まず、職務発明の相当対価制度について、「企業等が厳しい経済情勢及び国際的な競争の中で、これに打ち勝ち、発展していくことを可能とするものであるべきであり」と述べ、従業員に対する相当対価が高額になるときは制限するというニュアンスの趣旨を述べます。そのうえで、 それまでに相当対価が1億円を超えた2つの前例で、使用者の貢献度が80%及び95%であることや、「本件が極めて高額の相当の対価になるとの事情を斟酌し、」日亜化学の貢献度を95%、つまり中村教授の貢献度を5%としたのです。
東京高裁の和解勧告の中に明示的に記載されているわけではありませんが、職務発明の相当対価の制度は、あくまでも会社の存在を前提とした制度であり、巨額の相当対価を支払うことを許容したら、会社としては、「厳しい経済情勢及び国際的な競争の中で、これに打ち勝ち、発展していく」ことができなくなるので、そういう制度は許容できないということなのでしょう。 

ただ、特許の職務発明の相当対価の制度については、制度自体に色々な議論があるところであり、このような東京高裁の判断が不当ということではありません。法解釈としては、一つの有力な考え方として成り立っています(だから、中村教授は、不満がありながらも和解に応じたのでしょう。)。
したがって、もし腕に自信がある技術者の方が職務発明の相当対価の制度を期待しているようであれば、あまり期待しない方が良いということはアドバイスさせていただきます。ほとんど独力でノーベル賞級の発明をしても、会社の貢献度が95%で、あなたの貢献度は5%に過ぎません。

というわけで、中村教授のように優秀な技術者はどんどん海外に出ていくべきだと思います
(既に出て行っているという噂がありますが・・・)。

かえって、どんどん海外に出ていけば、日本の会社の制度設計やマインドも変わる かもしれませんね。

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昨日(10月1日)の日経新聞朝刊の1面の記事ですが、『まとめて審査 特許5カ月で』という見出しの記事がありました。これは、本当に凄いことです。おもわず、「本当に5か月で出来るの?」と声を出しそうになりました。

特許庁は企業が新製品を迅速に発売できるように知的財産権を取りやすくする。複数の企業が共同で開発した製品も代表企業が申請すれば、関連する特許・商標・意匠を一括して審査する。これまで2年以上かかった権利取得までの期間も5カ月程度に短縮する。〔中略〕特許庁は10月から新しい制度を導入する。


「新制度では従来の5倍程度早い5カ月程度で権利を同時に取得することができる。」ということなのですが、これまで2年以上かかっていたものが、どうして5カ月でできるようになったのか、その仕組みを知りたいところですね。
いずれにしても、ビジネスは迅速が第一ですので、企業にとっては、この特許庁の新制度導入は強い追い風になるかと思います。
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本日の日本経済新聞朝刊に出ていますが、「特許審査で東欧支援 経産省、4ヵ国と覚書  調査機関設立を指導」とのことです。

経済産業省はポーランドなど東欧4ヵ国に、特許の審査を迅速化できるよう支援する。世界の特許の先行事例を調べる専門機関の設立に向け専門家を派遣し、ノウハウを伝える。経済成長が見込まれる東欧で、日本の進出企業が特許権を取得しやすくする狙いもある。

企業や大学が特許を国際出願する際には、手続きを円滑にするため、国際調査機関(ISA)に認定された日本や米国特許庁が予備審査として類似する事例があるかを確認するのが一般的。ISAには現在19の国・地域の特許担当局などがあり、東欧4カ国もISA設立を目指している。


このようなニュースをみると、日本の特許の諸システムのレベルの高さがわかり、うれしくなりますね。
ご担当される担当者の方には、頑張ってほしいと思います。
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9月4日の日経新聞朝刊5頁に、「社員の発明、特許は企業に 産業界、報酬ルールに理解」という見出して、特許の職務発明に関する記事が出ていました。少々記事を引用させていただくと、

特許庁は企業の従業員が発明した特許について、条件付きで企業に帰属させる方向で検討に入った。いまは発明した従業員が特許を持つが、企業の設備や同僚の協力なしに発明するのは難しいためだ。ただ従業員に報酬を支払う新ルールを整備し、企業が発明者に報いることを条件とする。


新ルールは、発明者に報いる仕組みを各企業が整えるよう法律で義務付ける方向だ。早ければ秋の臨時国会に特許法の改正案を提出する方針だ。


とのこと。
この特許の職務発明について、当初から企業に帰属させることに変更するというと、「従業員を搾取するな!」などというトンチンカンな批判が出るのですが、今の制度が企業のみならず、従業員側のためにもなっていないことは、以前このブログで書きました。私としては、良い方向の改正だと思います
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ペコちゃん


本文とは全く関係ありませんが、有楽町不二家のペコちゃんです。夏らしく衣替えですね。








企業に勤める研究者らがその企業の職務上発明をした場合のことを「職務発明」といって、現行の特許法では、
① 特許を受ける権利は発明をした研究者個人に属しますが(
291項柱書及び351項)、就業規則等で予め定めることにより、企業はその特許を譲り受けることができ(331項及び353項)、
② 他方、従業員は、職務発明の承継等について「相当の対価」を受ける権利を有し(
353項)、さらに、
③ その対価については、特許就業規則等で定めることができるものの(
354項)、それが不合理なものであれば、裁判所に「相当の対価」の支払いを求めて訴えを提起できる(354項・5項参照)
という制度になっています。


しかし、このような制度では、企業が高額の支払いを迫られる訴訟リスクが高いとして、経団連等の強い要請があって、政府は、2013625日、「知的財産推進計画2013」を決定し、(1)職務発明を当初から企業が保有する(対価については特に定めない。)こととするか、(2)(帰属についても特に定めないで)従業員と企業の契約に委ねることにするか、のどちらかに改めるとの制度を示しました。

この政府の方針に対しては、朝日新聞が、「会社での発明 特許権は従業員に残せ」という社説(2013619日)を発表し、批判的な論調であり、また、ネット上でも産業界の要請に屈して労働者(研究者)の権利がはく奪されるというような論調の意見が散見されるところです。

私としては、あまりこの問題には関心がなかったのですが、先日、ある大学教授の論考に接し、前述の「産業界が労働者の権利を奪う」というような主張は、そもそもこの問題の本質を全く理解していないことが良くわかりました。理由は以下のとおり。 

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(当事務所の11月号のメルマガに載せた記事ですが、ブログにもupさせていただきます。)

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27日の日経新聞に、作家の東野圭吾さん、浅田次郎さん、漫画家の弘兼憲史さんら7名が、本や漫画を私的に電子化する「自炊」(じすい)を請負う自炊代行業者7社を、著作権侵害を理由に東京地裁に訴えたことが報道されていました。昨年の12月にも、東野圭吾さんらは、自炊代行業者2社を訴えましたが、このときは、業者側が要求を受け入れたため、訴えを取り下げたとのことです。しかし、今回の7社は、前回の提訴後も事業を継続しているので、「極めて悪質」と判断して、今回の訴え提起になったとのことでした。

「自炊」とは、何かというと、書籍や雑誌の背表紙と真ん中の頁と頁を繋げている部分(ノリがついた部分)を裁断して、1頁ずつばらばらにしたうえで、スキャナーにかけて、PDF等の電子データにすることです。電子データ化された書式は、コンピューターやipadkindleなどで読むことになります。

むかしは、このようなことができるとは夢にも思いませんでしたが、スキャナーとPDFソフトの進化により、素人でも簡単にできるようになりました。

まず、この問題を法的に説明すると、自炊する際には、複写の方法により有形的に再製することが伴いますので、著作権法第第2条第1項第15号が定義している著作物の『複製』に該当し、本来的には、著作権者(著者)の許諾がなければできないはずです(著作権法第21条参照)。

しかし、著作権法第30条は、

「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、〔中略〕その使用する者が複製することができる」
と例外を定めていますので、私的使用目的のために、自分自身が自炊を行う分には、適法と理解されています。

では、自分で自炊するわけではなく、自炊代行業者にやってもらう場合はどうなるのでしょう。

この点については、自炊代行業者が行うときには、①「その使用する者が複製」していないから違法であるという見解と、②自炊代行業者はその使用する者の単なる手足に過ぎず、その使用する者が複製していることには変わりがないから、適法であるという見解に分かれ、今はまだ判例はないものの、どちらかというと違法説の方が強く主張されているという感じであります。

ただ、ちょっと私が不思議に思うのは、自炊代行業者の存在は作家にとって本当に有害なのか? という点です。

確かに、紙の本が電子データ化され、それが違法又は不正に流通するようになると(電子データなので紙より違法又は不正に流通しやすいため)、紙の本が売れなくなったり、また、(既に電子データが出回っているため)将来、紙の本が電子化されたときにその電子書籍が売れなくなったりする可能性が考えられます。

しかし、これからの世の中、紙の書籍は確実に電子書籍化されて、kindleipadで読まれるようになっていくはずです。そのような流れの中で、一般の家の本棚の中にある書籍も、一部のマニアは別にして、電子化されなければ捨てられていく運命にあるのではないでしょうか(かつて一般家庭にあった大きなステレオとレコードのコレクションが小さなコンポとCDのコレクションとなり、いまやipod一つになったように・・・)。

作家の目からすれば、どうせ捨てられてしまうのであれば、作品が電子化され、一人でも多くの人の目に触れるような状態にしておいた方が、作品が再評価される可能性もあるのだし、幸せなのではないか?と思うのですが、いかがでしょう?

そんなに自炊をしたいのであれば、自分で自炊すれば良いと言うのかもしれません。しかし、実は、自炊は大変なのです。

私は、20108月に西村あさひ法律事務所を退職したとき、事務所の部屋に置いていた法律雑誌と書籍を電子データ化しようとして、当時一番性能がよいと言われていた裁断機とスキャナーを買い込み、自宅でせっせと自炊を始めました。しかし、1PDF化するのに、裁断の時間も含めると、少なくとも1015分位はかかりますので、1時間で多くて6冊、110時間やって60冊くらいが限界です。法律雑誌と書籍とで合計1000冊以上はありましたので、結局私が全てを自炊し終わるのに、まるまるひと夏をつぶしてしまったという経験があります。

実質的な論点としては、著作権法第30条が私的使用目的による例外を認めているのは、私的使用目的の複製であれば著作物の複製が著作権者に与える影響は少ないと考えられるからですので、「自炊代行業者を野放しにしておくと、紙の本が売れなくなり、将来電子化されたときに電子書籍も売れなくなる」というような可能性が、どれだけ客観的に認められるのか、というところで勝負が決まるように思われます。この点を科学的、定量的に証明する方法はないですかね?
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このケースでは、東京地裁判決東京高裁(知財高裁)判決の結論が分かれ(現在、最高裁に上告中)、マスコミ等でかなり話題になりましたが、私も少し考えたことがありますので、このブログに書いてみたいと思います。

東京地裁判決と東京高裁判決で、判断が分かれたのは、DeNAの釣りゲームの「魚の引き寄せ画面」が、先行するグリーの釣りゲームの「魚の引き寄せ画面」を翻案(ほんあん)したものであり、グリーの著作権及び同一性保持権を侵害していないか?という争点についてです(引き寄せ画面については、1審判決から引用した下の画面をご参照ください。なお、原告作品とはグリーの作品、被告作品とはDeNAの作品のことを言います。)。

グリー 判例


ここで「翻案」(ほんあん)とは、知財高裁判決の言葉を借りると、
既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が毀損の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為

のことを言います。

そして、また知財高裁の言葉を借りると、

思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創造性がない部分において既存の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない(最高裁平成11年(受)第922号同13628日第一小法廷判決・民集554837頁参照)。

ということになります。

ここでの論点は2つ。

① DeNAの「魚の引き寄せ画面」とグリーの「魚の引き寄せ画面」の共通する部分は、アイデアの部分にあるのか?それとも表現の部分にあるのか? (なぜなら、著作権法の保護対象は、表現であり、アイデアは保護されないから)

② (上記①で表現の部分にあるとして)DeNAの「魚の引き寄せ画面」とグリーの「魚の引き寄せ画面」の共通する部分は、表現上の創造性が無い部分にあるのか?(なぜなら、著作権の保護対象は、単なる表現ではなく、創造的な表現であるから)

という点です。

そして、判決では、色々な要素が比較されていますが、最も重要だと思えるのは、「水中に三重の同心円を表示する」という点であると考えられます。

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