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 先日(7月21日)、参議院選挙が行われ、色々なことが話題になりましたが、ワイドショー的に1番インパクトがあったのは、「NHKから国民を守る党」(N国)が比例区で約2%の得票を獲得し、党首の立花孝志氏が参議院議員になったことでしょう。この立花孝志氏、NHKの政見放送において「NHKをぶっ潰せ!」と連呼したり、当選後も、自身を気持ち悪いなどと言ったマツコ・デラックスさんについて、「マツコ・デラックスをぶっ潰せ!」などと攻撃したりして、過激なパフォーマンスを続けています。しかし、N国の政策自体はとてもシンプルで、「NHKをスクランブル放送化せよ。」ということです。つまりNHKと受信契約をした者だけがNHKを見られるようにして、NHKを見ない人が受信料の支払いを強制されることがないようにしたいということなのです。産経新聞の世論調査によると、このNHKのスクランブル化ということについては、52%が賛成であり、反対を上回っています。つまり、それなりに世論の支持を受ける政策を掲げているから参院選の比例区において約2%もの得票を得ることができたのでしょう。

 

 このN国の台頭を見るにつけ、私が思い出すのは、一昨年(平成29年)12月6日に出たNHKの受信料をめぐる最高裁大法廷判決です。放送法64条1項本文は、「協会〔注:NHKのこと。〕の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」と定め、テレビ等の受信設備を家に設置すると、NHKとの間で受信料契約をすることが強制され、受信料を支払わなければならなくなりますが、このような仕組みが、憲法の保障する契約の自由、知る権利(21条)及び財産権(29条)を侵害しているのではないか?という点が争われたのがこの事件です。具体的には、テレビを設置することが必ずしもNHKの番組を見ることにはならないのですが、それにもかかわらず、NHKに必ず受信料を支払わなければならないというのは不当だということです。

 

 これに対して、最高裁大法廷は、受信設備設置者にNHKの受信料の支払いを強制する放送法64条1項本文の規定を合憲と判断しました。その理由は、戦後、国会が、テレビ放送を、公共放送事業者と民間放送事業者の2本立てにして、前者を担うものとしてNHKを存立させ、受信設備設置者に受信料を負担させることにした仕組みは、「憲法21条の保障する表現の自由の下で国民の知る権利を実質的に充足すべく採用され、その目的にかなう合理的なものであると解されるのであり、かつ、放送をめぐる環境の変化が生じつつあるとしても、なおその合理性が今日まで失われたとする事情も見いだせないのであるから、これが憲法上許容される立法裁量の範囲内にあることは明らかというべきである。」というのです。

 

 私は、最高裁が、戦後、まだテレビ放送があまり行われていなかったときに、テレビの設置者全員にNHKの受信料を負担させることに合理性があると言っていることにはいいとしても、現在、「放送をめぐる環境の変化が生じつつあるとしても、なおその合理性が今日まで失われたとする事情も見いだせない」と述べている点はちょっと疑問に思っていました。東京では、何十年も前から地上波だけでNHK以外に5チャンネル(日テレ、TBS、フジ、テレビ朝日、テレビ東京)はあり、ケーブルテレビでは、専門チャンネルも含めてそれこそ数百チャンネルあり、インターネットのテレビでもニコニコ生放送やアメーバTVなど地上波に負けないような放送がなされているので、NHKがなければ、国民の知る権利が実質的に充足されないなどとはいえないのではないかと思います。少なくとも、テレビを設置したということだけでNHKの受信料を負担させることに合理性があるとは思われません。しかも、現在では、NHKと受信料契約を締結した者だけにNHKが見られるようにする(スクランブル化)ことが技術的・コスト的に容易になっています。政府の広報や災害時の緊急放送、(議論はあると思いますが)教育番組などは税金で運営するとして、通常のドラマ・歌番組・ニュース・スポーツなどは、NHKを見ない人にまで負担させるのは理由がないように思います。N国の台頭やNHKのスクランブル化に賛成する人が52%もいるという結果をみると、やはり最高裁大法廷は時代の流れを読めていなかったのではないかなと感じます。

 

 この時代の流れや、人々の規範意識の変化を敏感に感じる能力というのは我々法曹にとって重要なことだと思います。それがないとピント外れな結論が導かれてしまうからです。

 

 私が、最近、世の中が変わったなと思うのが

 

(1) 戦後すぐのころは、出生率が4倍くらいで、日本の人口が増えすぎることを心配していた政府は、ブラジル等への移民政策を進めていたが、現在では、出生率が1.42くらいまで減り、少子化時代となって、労働力も不足しているので、なんとか移民を受け入れようと議論している。

(2) つい最近まで、長時間労働は、日本人の勤勉さの象徴として良いイメージであったが、働き方改革が叫ばれて、残業は悪とみなされるようになった。

(3) 私の子供のころは、タバコはカッコいい大人の象徴で、東海道線などでは、電車の中でも平気でタバコが吸われていたが、現在はタバコの健康被害が明らかとなり、イメージ的にも、ニコチンの依存症から抜けられないダメな大人の象徴となった。

(4) LGBTは、昔は、ホモ男とか、オカマなどと蔑みの対象であったが、現在では、DNAレベルの問題であることが認識され、最近では、同性婚についても(国際的には遅ればせながらではあるが)本格的に議論されるようになった。

(5) 学校における体罰、職場におけるセクハラ、パワハラは厳禁になった。

(6) 暴力団排除が徹底されるようになった。

(7) 高齢者の運転に白い眼がむけられるようにった。

(8) 高校野球のピッチャーにも球数制限、連投制限が導入されることになった。

 

等々です。皆様も色々と感じているのではないでしょうか。

 

これからも、世の中の流れや人々の規範意識の変化について敏感でありたいと思います。

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今朝の新聞各紙で、性別変更後の親子関係に関する画期的な最高裁判決が報道されていました。

事案は、性同一性障害で性別を女性から男性に変更した方に男性(Aさん)に関するものです。
簡単に説明すると、Aさんは、戸籍の性別を男性に変更後、女性(Bさん)と結婚し、おそらく子供がほしかったのでしょう、妻が第三者から精子提供を受けて、長男(C君)を出産しました。AさんとBさんが、民法772条1項の「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」との規定に基づき、C君を自分たちの嫡出子(嫡出子)として区役所に出生届を提出しましたが、区長は、戸籍上の記載から、Aさんの戸籍から性別変更を受けていることを知り、民法772条1項の推定を受けないとして、出生届の父母の続柄欄に不備があるとして訂正を求めました。しかし、Aさんがこれに従わなかったため、区長は、法務局長の許可を受けて、父親欄空欄のまま、Aさん(だけ)の長男としてC君の戸籍を作成しました(つまりC君の戸籍上、父親はいません。)。そこで、AさんBさんが、C君の父親欄にAさんと記載すること等の訂正を求めて訴えを提起したというものです。

 

少々法律の説明をすると、「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」(特例法)4条1項は、「性別の取扱いの変更の審判を受けた者は、民法[中略]その他の法令の規定の適用については、法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす。」と規定しています。
したがって、特例法上の審判を受けて性別を女性から男性に変更した者は、民法上は男性ですので、その後、女性と結婚して、その女性が子供を儲けた場合には、(血縁関係があろうとなかろうと)民法772条1項により、その子供は、嫡出子としての推定を受けるように思います。つまり、その男性の子供として扱われるということです。

ところが、他方で、最高裁は、過去の判例(昭和44年5月29日判決)で、一見嫡出推定が及ぶ期間に生まれた子であっても、既に夫婦が事実上の離婚をしていて実態がなく、又は遠隔地に居住していて、性的関係を持つ機会が無かったことが明らかであるなどの事情が存在する場合には、嫡出推定を受けない、と判断していたため、戸籍実務では、性別変更の履歴が戸籍に記載されていることも相まって、かつて女性だった方が男性に性別変更をした場合には、その男性と子供との間に親子関係を認めていませんでした。今回のAさん、Bさんは、それをおかしいとして、争ったわけです。

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