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2002年に販売された橘玲(たちばな あきら)さんのベストセラーを、10年以上が経過した現時点において見直し、原文はそのまま維持して、制度が変わったところなどをコメント形式で補足した本です。

ただ、単に制度が変わった部分を補足しただけではなく、今回の改訂の動機などを書いた「はじめに」の部分や、そもそもこの本が書かれるに至った橘さんの1995年という転機のとしのことなど、新しく書き足された部分もあり、旧版をもっている人にとっても楽しめる内容になっています。

この本は、大きく分けると、資産運用について書かれている部分と、マイクロ法人の知識について書かれている部分があります。

(旧版には、PT=どの国家にも税金を納めないPapetual Travelerについて書かれた部分もありましたが、この部分は法改正が激しくて削除されました。)。
資産運用の部分は、ファイナンス理論からして日本人の不動産信仰はどうなの?という話と、生命保険って資産運用的にみてどうなの?という話。我々の周りには実は億万長者がいっぱいいるというトリビアの話もあります。

マイクロ法人の部分は、主に節税に関する知識なのですが、その中で、わが国の制度的な歪みの部分についての言及がかなりあります。私は、職業柄、この手の知識を得やすい立場にありますが、それでもよく調べたなと感心することしきりです。制度融資の話も、中小企業経営者にとっては必須の話ですね。まだ、橘さんの本を読まれたことがない方には、いちど読んでいただくとその凄さがよくわかります。

橘さんのいう「黄金の羽」とは、我が国の制度的な歪みから構造的に派生する「幸運」を手にすることですので、合法的な方法とはいえ、制度的な歪みを利用するところなどが、道徳的に好きになれない人もいるでしょう。
しかし、橘さんの他の著作や、この本の冒頭を見ると、彼の寄って立つ立場がわかります。

目標
Goal
真に自由な人生を生きること。

自由
Liberty
何ものにも拘束されない状態。

経済的独立
Financial Independence
国家にも、会社にも、家族にも依存せず、自由に生きるのに十分な資産をもつこと。

彼は、国家というレベルを超えて、個人が真に自由に生きるために、制度というものを冷徹にみているのでしょう。この本の隠れた魅力は、実はそこにあるのだと思います。

橘さんいわく、2002年にこの本の旧版が書かれたときの我が国の制度的な歪みは、10年以上たった現在でも基本的には変わっていないとのこと。そして、制度的な歪みは、時期は特定できないものの、いつかは顕在化して破たんに至るとのこと。とても怖い本でもあります。
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バカが多いのには理由がある
橘 玲
集英社






本書は、作家の橘玲さんの最新刊で、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの「早い思考」と「遅い思考」という考え方を参考にして、ヒトは生活の99%を旧石器時代に最適化された「早い思考」(直観的思考)で済ませているが、馬鹿と、そうでない人の違いは、残りの1%(あるいは0.1%)すら「早い思考」(直観)でしか考えられないヒトと、残りの1%(あるいは0.1%)は「遅い思考」で考えられる人の違いであるという判断枠組みを基礎にして、最近の政治・経済・社会の分野のトピックについて、橘さんの意見を述べた本です。

このブログでも橘さんの本は何度か紹介させていただいていますが、私は橘さんのファンであり、この本で述べられている橘さんの意見についても、とても鋭く、かつ説得的で感心しました。

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先日、キンドルでこの本を買ったら、面白くて止まらなくなり、上下巻とも一気に読み終えてしまいました。

この小説の主人公は元弁護士で、日本国籍を有しながら、世界のどの国の居住者にもならず、永遠の旅行者(Perpetual Traveler)でいることで、どこの国にも税金を納めないというライフスタイルを選択した真鍋恭一という若者です。その若者が、あるとき、死が迫った日本のある老人から、約20億円の財産を孫に相続させること、しかも国家に一銭も税金を納めるないこと、という仕事の依頼を受けて、物語が展開していきます。

国際税法、タックスヘブン、相続、節税などの知識が得られますし、それだけではなく、統合失調症などの精神病や、ニューヨークにおける貧困対策など興味深い分野にも踏み込んでいきます。小説としても、最後の最後まで謎があって、面白かったです。
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ちょっとショッキングなタイトルですが、これは、作家橘玲(たちばな あきら)さんの公式ブログの2012年8月9日の記事のタイトルです。

この記事はとても示唆的なので、是非ご一読をお勧めしますが、要約(意訳)すると、

(1) 大規模意識調査によれば、アメリカ人と日本人(および中国人)で、紛争処理の考え方についてほとんど違いがなく、むしろ、友人間の紛争については、教会コミュニテイの存在などが影響しているのか、アメリカ人の方が、訴訟を使うことに抵抗を示す度合が強い。

(2) それにもかかわらず、アメリカで訴訟が多いのは、交渉の入口として機能しているからである。すなわち、アメリカの訴訟には、強力なディスカバリー(証拠開示制度)があって、早期に事実関係を確定して、有利な和解を探ることが可能となる。民事訴訟が提起されても、実際にトライアルにまで進む事件は、2002年のデータで連邦裁判所で1.8%、州裁判所で15.8%に過ぎず、それ以外は、だいたい和解で解決していく。

(3) それに対して、日本の場合、訴訟は、任意交渉や調停で解決しなかった場合の最後の手段であり、ディスカバリーに相当する制度はなく(原告は自力で事実関係を確認するほかない。)、和解率は50%程度に過ぎない。
それ以外にも、日本の裁判には、強制執行制度の欠陥(支払う気のない債務者からの債権回収はほとんど不可能)、損害賠償の低さ(裁判をしてもしょうがない)、などの制度的問題がある。

(4) 要するに、日本人は、和を尊ぶ文化的要因ではなく、経済合理的な理由から(つまり、あまり役に立たないし、ペイしないから)訴訟を避けているのだ。(だから弁護士を増やしても訴訟は増えなかった)
以上から、「司法改革は、この司法制度の根幹に手をつけなくては機能せず、いまのままでは法科大学院に湯水のごとく税金を注ぎ込み、弁護士の失業を増やすだけに終わることになるだろう。」


最後の部分は、まさにその通りになってしまいました。
最近では、「司法修習生の就職先がないから司法試験合格者数を削減しよう」などという議論になっていることはご承知のとおりです。

私は、いち実務家ですので、現在ある制度を前提に、それをうまく使いこなすしかありませんが、現在の民事手続には問題が多く、立法も含めて、これを良い方向(役に立つよう)に変更していく必要があると考えています。

それにしても、橘玲さんの指摘は鋭いですね。
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本

作家橘玲(たちばな あきら)氏の最新作『臆病者のための裁判入門』(文春新書)を読んでみました。橘玲氏といえば、近時、『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』とか『(日本人)』などの話題作を世に出した人気作家です。さすがに、この本も、我々の常識を覆すような情報が満載されており、弁護士である自分自身が読んでもとても面白かったです。以下、3点ほど感想を書いてみたいと思います。

1. この本の前半部分は、橘玲氏が、外国人の友人の損保会社に対する少額の損害賠償請求訴訟等に、補佐人等として関与した体験をまとめたものです。簡易裁判所の民事調停が役に立たなかったり、訴訟(裁判)提起にあたり簡易裁判所と地方裁判所をたらい回しにされたり、地方裁判所で当事者が争点としていない点について不意打ち的な判決を受けたりと、様々な気の毒な体験をしますが、これらの部分については、弁護士である私にとっては、「さもありなん。」という感じでした。しかし、裁判の経験のない人にとっては、とてもリアルで面白いでしょう。

2. この本の冒頭に出てくる『本人訴訟』のデータには驚きました。弁護士が代理人に付かずに当事者本人が訴訟を遂行する訴訟のことを『本人訴訟』といいますが、昨年終結した事件のデータで、地方裁判所の通常事件の30%しか原告・被告双方に弁護士の代理人が付いた事件がなく、あとの70%は、原告・被告のいずれか又は双方に弁護士が付いていない本人訴訟とのことです。これが簡易裁判所になると、全体の97%超の事件で、原告又は被告のいずれかが本人であり、60%近くが原告・被告双方とも本人。さらに、簡易裁判所で行われている少額訴訟手続の97%が原告・被告双方とも本人訴訟であるといいます。業界では、今「弁護士の数が増えて仕事が無くなった」などと言われているのですが、実は、実は、司法の世界には、弁護士未踏の広大な領域があることになります(ただ、この分野を仕事に結び付けることはとても難しい…)。

3. この本の後半部分には、何故、弁護士代理人を付けるような裁判があまり利用されていないのか?という疑問に対する答え(もしくはヒント)が書かれています。それは、

① 米国におけるディスカバリーのような制度がなく、当事者に事実調査の方法がない(真実追求に対する当事者の満足が得られない)

② 強制執行制度が機能しておらず、判決を得ても、相手方が財産の名義を変えてしまうような不誠実な人であると、「判決はケツ拭く紙ほどにも役に立たない」と言われてしまう(判決を得ても実効性がない)

③ 弁護士と依頼人とのマッチングができていない(これは、弁護士法により弁護士紹介業が禁止されていることが大きいと思います。)

というような分析がなされています(もちろん、この本自体は、このような疑問に直接答える形をとっていないので、あくまでも私がそのように読んだということです。)。

これらの問題点については、既に議論されているところだと思いますが、至極もっともな意見であるように思いますので、民事訴訟法学者には大いに研究してほしい分野ですし、我々も声を大にして改正を求めていかなければならないと思っています。

以上


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