2014年11月17日の日本経済新聞朝刊17頁の経済学教室に掲載された玉井克哉東京大学教授の『職務発明制度の論点上 従業員への『対価』多様に』という記事はとても示唆に富んでいると思います。
玉井教授は、職務発明について、はじめから企業に権利を帰属させる制度(原始帰属)と、いったん発明者を権利者として企業がその移転を要求できる制度(承継帰属)の2つがあるが、いずれにしても各国の法制度は、最終的に職務発明を企業の権利とすることで一致しているから、「職務発明は発明者のものか、企業のものか?」という議論をすることは間違っていると言います(いずれにしても企業に帰属することになるから、ということでしょう。)。
そして、現行の特許法の最大の問題点は、職務発明の権利を取得した企業が、従業員である発明者に「相当の対価」支払うよう義務付けていることだというのです。
その理由としては、
第一に、中村修二氏の青色発光ダイオード訴訟で、1審が相当の対価を約604億円と判断したのに対し、控訴審での和解額が約6億円だったことからわかるとおり、相当の対価が具体的にいくらかどうか、予測が不可能だということです。「予測可能性に欠ける仕組みは、企業に不必要なリスクを負わせ、日本の国際競争力を損なっている」といいます。
第二に、裁判所で相当対価の結論が出るまでに長い時間がかかることです。中村教授のケースでは、発明から東京地裁の判決までに13年がかかっており、医薬品などの場合には、何段階もの臨床実験を経るだけでも10年以上がかかるのが普通ということなので、相当対価の算定にはもっと時間がかかるのでしょう。
そして、玉井教授は、次のようなとても痺れる文章を書いています。
市場での売り上げを見てから企業を訴えることのできる発明者など、ごく一握りに過ぎない。その結果として運が良ければ数億円の対価が得られるかもしれないというのが現在の制度である。そんな期待は、企業の研究者を駆り立てる動因にはならない。
そんな先の、あやふやな期待よりも、たとえば年末にボーナスが出る、翌年の研究費が増える、功績が認められて表彰される、他の従業者より早く昇進する、研究の自由度が上がるといった制度の刺激の方が研究者にとってははるかに有効である。ところが現行法は、個々の発明に対する「相当の対価」を発明者個人に金銭で支払うことを一律に要求し、多様な評価方法を認めない。
よく誤解されるが、米国の企業内研究者が自己の発明について事後的に「相当の対価」を請求することなどできない。米国企業の従業員が会社に請求できるのは、契約によってあらかじめ定められた報酬だけである。
発明を無条件で「企業のもの」にするのは従業員である発明者を「奴隷」の立場に落とすものだ、という人もいる。もしそうなら、米国ではほとんどの研究者が奴隷ということになるが、もちろんそんなことはない。発明者を奴隷扱いするような企業からは有能な研究者が逃げ出し、同業他社との競争に負けてしまう。
とっても説得的ですね。
玉井教授の見解で一点心配なのが、日本の労働環境からして、職務発明を、アメリカのように企業と研究者個人の契約の問題として、うまく回るのか?という点でしょうか。まだまだ日本は終身雇用が前提で、労働市場にも流動性がないように思いますので、研究者側が、企業が提示する条件に不満な場合に、他の会社に移れるのか?とか(ここがないと交渉力に欠けることになります)、企業側も、個々の研究者と契約を締結することにまだ慣れていないようなので、その点の準備は大丈夫なのか?とか気になります。また、このような個別の契約の問題とすると、研究の成果が出ない場合には、研究者側の責任も規定することになってくるように思いますので(たとえば、労働契約の終了等々)、その辺が、日本の雇用慣行となじむかどうかも気になりますね。
ただ、最近は優秀な研究者・技術者の海外流出のことがよく報道されており、研究者・技術者の世界はかなりの契約社会になっているようにも思われますので、心配は無用なのかもしれません。
また、いつまでも日本の雇用慣行(?)に拘っていては世界から取り残されてしまうという噂もありますね。。
現在、特許法第35条の職務発明については、特許を受ける権利を原始的に企業に帰属させ、その代わり、従業員発明者に報いる仕組みを各企業が整えるよう法律で義務付ける方向での改正案が特許庁で検討されています(過去記事参照)。
よい改正になることを願っています。