金融・商事判例2016115日号(No.1482)の巻頭『金融商事の目』には、昨年3月に裁判官を退官された加藤新太郎先生が『債権法改正と裁判実務との関係』という題名でコラムを書かれています。加藤新太郎先生といえば、スーパー裁判官で、現役の裁判官時代から、たくさんの法律書、実務書の執筆をされており、私(飛田)も、いくつかの案件で、加藤先生の著書を参照させていただいたことがあります。実は、約20年前に私が司法修習生だったころ、司法研修所の事務局長をされていました(もちろん面識はありません。)。

 加藤先生は、このコラムの中で、第
1に、民法債権法改正の保証に関する規定のように、「立法事実が明確であり、議論の方向性にコンセンサスのみられる法改正部分は、改正の効果が直ちにあらわれる」といい、第2に、逆に、「立法事実が乏しく、机上で構想された要素の強い法改正部分は、実際には法規範として使われず、裁判実務にもあらわれないことになろう」といっています。個人的には、どのような改正部分が裁判規範として使われなくなるのか興味がありますね。
 そして、第3に、「議論状況に対立がみられた法改正部分」については、「立法担当者の開設にもかかわらず、解釈論はわかれるであろう」と言い、その例として、債務不履行の解釈について、契約責任論(無過失責任主義)をとるか、伝統的理解(過失責任主義)をとるかという議論を挙げています。

 私が注目したのは、このコラムの最後の部分。加藤新太郎先生は、この解釈状況に対立がみられた法改正部分について、最終的には、「裁判例の蓄積により、裁判規範が形成されていくのである」と前置きしたうえで、次のように続けています。

このプロセスを効果的に機能させるために、研究者には、外在的批判でなく(外在的批判とともに)内在的な規範構造を解明する解釈論を実務家に向けて発信する役割を果たすことが要請される。強調しておきたいのは、法制審議会民法(債権関係)部会関係者の解釈論と非関係者のそれとの優劣は、論理的に成り立ち得る解釈論である限り、原理的には等価であることだ。

とても難しい言い回しですが、内在的な規範構造を解明する解釈論を実務家に向けて発信せよ!とか、法制審議会民法(債権関係)部会関係者の解釈論と非関係者の解釈論とに優劣はない!とかいうメッセージには、裁判官を退官されて研究者になった加藤先生の気概が感じられてイイですね。

なんの面識もなく、はるかに
年下の私がいうのも何なのですが、加藤先生には、これからどんどん発信していただいて、我が国の司法を盛り上げていっていただきたいと思います。